『割れ始めた殻』
「・・・・痛い」
目を覚ますと同時に体中に鈍い痛みが走った。
「・・・俺前世でどんな悪いことしたのかなぁ」
思わず遠い目をしてしまう。俺は輪廻転生など信じてはいなかったが、信じざるをえなくなりそうだ。
「いたたた」
体を起こすだけで痛みが走る・・・・・あいつらの辞書に手加減と言う文字を書き込むことを今後の課題にしよう。
痛みの原因は言わずもがな昨日のこと。クリスのマンションから全力で走って帰った俺は自分が今吸血鬼化していることに気付き、これじゃ入るに入れないと庭の隅っこで吸血鬼化が解けるまで(体育座りで)待っていたら時間は非情にも1時間がたっていた。
そのときの俺には家の玄関が地獄の門に思えた。「汝、一切の希望を捨てよ」ってな感じで。
恐る恐る扉を開けるとそこには・・・・・・・・やめよう、思い出したくない。なんかこの家に来てからトラウマの数が日増しに増えているような気がする。
ちなみに真さんはこんな風に優莉と怜莉に説明したらしい。
「由宇人君なら1年生の女の子と親睦を深めるから遅くなるってさ」
真さん、確実にあなたのこの発言のせいでダメージが5割増しになりました。
「こんなんで学校行けるかな・・・・」
「じゃあ休めばいい」
「そうはいかないよ。そんなことしたらあの二人に何されるか・・・・・」
「怜莉も優莉も乱暴になったものだな」
「・・・・・・」
俺はそこで顔を横に向ける。
「何でいるんだ・・・・」
「お早う、ユート」
俺が顔を向けた先にはエルリアがソファに座っている姿があった。
「お早う、エルリア・・・・一つだけ聞きたいことがあるんだが」
「なんだ?」
「どこから入った」
「窓から」
「あーっ!」
俺は開け放たれている両開きの窓を見て叫び声を上げる。
「ききき昨日せっかく直したのにまた壊れてる!?」
「それはご愁傷様だな」
「お、おま、お前なぁ!そんな他人事のように・・・!」
「だって窓が開いてないと私が入れないだろ」
「それは・・・そうだけど!」
だけど昨日優莉と怜莉にボコボコにされた後に必死に窓を修理した俺の頑張りはいったいどうなるんだ。
「・・・・で、何でいるんだ?」
俺がそう言うとエルリアはソファから立ち上がり、こちらに歩いてきた。
「・・・昨日突然吸血鬼化したと真から聞かされた」
「ああ、そのことか・・そのせいで一人に秘密を知られてさ、昨日は散々だったよ」
「変化が加速してきたんだ。前回、私が与えた血の効果が薄れてきている」
「そう・・・なのか」
「だから、また私がお前に血を与える」
「そうか・・・・なに?」
聞き捨てならないことをエルリアが言ったような気がする。エルリアは何も言わずに俺の身体にのしかかってきた。
「ちょっ、エルリア、何する気だ!」
「・・・・・」
エルリアは顔を真っ赤にして顔を近づけてくる。そんなに恥ずかしいのならやらなきゃいいのに!
「エルリア、離れろって!」
俺はエルリアの一瞬の隙をついて素早くベッドから脱出する。
「ったく・・・お前、まさか単なるキス魔じゃないだろうな」
「なっ・・・!」
俺の一言にエルリアは顔を真紅に染める。
「お、おま、お前!言っていい冗談と悪い冗談があることを身体で教えてやろうか!」
「身体で教えるって・・・エルリアやーらしー」
「この・・・!」
「あんまり騒ぐと優莉達が来るかもしれないぞ」
激昂したらしいエルリアは大声を出そうとした口をどうにか閉じて、ものすごい目で睨んできた。
「悪い悪い、冗談だよ。エルリアって結構からかい甲斐があるな」
「・・・・・・今度こんな真似をしたら只じゃおかないからな」
どうやら完全に拗ねてしまったようだ、完全にそっぽを向いてしまっている。
「でもさ、どうしてそうやって血を飲ませるときは口移しなんだ?他にいくらでも方法があると思うんだけど」
「それは・・・・」
何故か口ごもるエルリア。俺としては血を飲ませられる度にキスされては(いろんな意味で)困るので、もし理由があるのなら聞いてみたかったのだ。
「・・・・・・ないんだ」
「え?」
「・・・できないんだ」
「できないって・・・何が?」
俺がそう尋ねるとエルリアは視線を逸らしてこう言った。
「私は、人に血を与えることが、できないんだ」
「・・・い、いや、だって、俺に普通に血を飲ませたじゃないか」
「それは、ああいう方法だったから・・・・」
「・・・つまり、どういうことなんだ?」
エルリアはとても、とても悲しそうな顔を下に向けて話し出した。
「・・・お前は私の記憶を見たのだろう?」
「・・・・ああ」
「私はアインに無理矢理血を飲まされた・・・多分トラウマになったんだろうな。それ以来、私は誰かに血を飲ませることに激しい拒絶感を覚えるようになった。自分が飲ませるのも、誰かが飲ませているのを見るのも駄目なんだ」
「・・・・・・」
俺は言葉が出なかった。訥々と語るエルリアの声から、エルリアが吸血鬼に成ってから今日までに堆積した苦しみや悲しみがにじみ出ているような気がしたからだ。
「まぁ、幸いというか、この200年の間で吸血鬼にしたいと思った人間は一人もいなかったからな。そんな大した問題じゃない」
「・・・じゃあ、どうして・・・・俺を吸血鬼にしたんだ?」
俺の言葉に途端に黙るエルリア。
「そんな苦しい思いをしてまで、どうして俺を吸血鬼にしてくれたんだ?」
「・・・・・大した理由じゃない」
エルリアは目を逸らしたままそう答える・・・・本人が言いたくないのならこれ以上追求するわけにはいかないか。
「・・・・・それに別に苦しい思いをしたわけではないし・・・」
そう俺が思ったとき、エルリアがボソッと言った。
「・・・へ?だって血を飲ませると拒絶反応を起こすんだろ?」
さっきのエルリアの話を聞く限りではそうだったはずだが。
するとエルリアは何故か顔を紅潮させた(というかエルリアってよく顔を紅くするなぁ)。
「だ、だから、え、えっとだな、その・・・」
そして何故か一人で焦っているエルリア。傍からは一人コントをしているようにしか見えん。
エルリアは散々「あ〜」だとか「うー」だとか言った後、突然、
「く、口移しなら大丈夫だと思ったんだ!」
と叫んだ。それはもう大きな声で叫んだ。
俺は「・・・・あ、そう」と言いながら気が気じゃなかった。横目で時計を見る。
(・・・今は・・・6時30分か。優莉は爆睡してるだろうが、確実に怜莉は起きてる・・・!)
「なぁ、エルリア」
「・・・なんだ」
心なしか(というか露骨に)ぶすっとした表情をしているエルリア。
「お前って、怜莉と優莉と面識ってあるのか?」
「・・・ん、あるぞ。私はあの二人が生まれたときから星織の護衛をしているからな」
「あ、なんだ。知り合いなのか。なんだ、良かった・・・良かった〜」
「?」
良かった、これで最悪の展開にはならないな・・・と俺が一息ついたときだった。
俺の部屋がドンドンとノックされた。
「由宇人いる?さっき大きな声が聞こえたのだけど」
「ああ、怜莉、今開けるよ」
と俺がドアノブに手を伸ばしたとき、俺の脳裏にある考えが浮かんだ。
(あれ、もしかしてこの場合、エルリアが知り合いだとかそんなことは関係ないんじゃないのか?)
そうだ、問題なのはこんな朝早くに自分の部屋に女性がいることじゃないか(しかもエルリアはご丁寧に俺のベッドに座っている)!
だが、ああ、この世は無情なり、俺の手は時遅く扉の鍵を開けたところだった。
「由宇人、女の人の声が・・・聞こえた・・んだ・・け・・ど」
勢いよく扉を開けて入ってきた怜莉の言葉が尻すぼみになっていく。大きく目を見開いた怜莉の視線の先には俺のベッドでうつ伏せになって肘をついているエルリアがいた。
「・・・エ、エルリア?」
「久しぶり、怜莉」
「え、ええ、久しぶりね・・・1年ぶりかしら・・・相変わらず変わらないわね、あなたは」
「イタリア人は老けにくいんだ」
「そう、それはそれとして・・・・由宇人?」
怜莉はそこで視線を俺に向ける。怜莉のその瞳を見たとき、俺は死を覚悟した。
「は、はいっ」
「どうして、エルリアが、こんな朝早くから、あなたの部屋に、いるのかしら?」
「え、え〜っと。それは、ですね・・・・」
俺は助けを求めてエルリアに視線を送る。エルリアはようやく事態の深刻さを理解したようで、
「れ、怜莉?私とユートはなんでもないぞ。お前が思っているようなことは一切ない」
俺も首を何度も縦に振る。
「そう・・・・じゃあエルリア、あなた、どうして由宇人の部屋にいるの?シャルロットのところにいたんじゃないの?というかいつの間に知り合ったの?」
「え、えーと、それはだな・・・」
おい!そこで口ごもった挙句俺の方をそんなどうしたらいいみたいな瞳で見るな!お前200年以上も生きてるらしいのに何でそんなに口が回らないんだ!
「由宇人」
「え〜とだな、怜莉、まずは落ち着こう。全ては誤解なんだ、分かってくれるよな」
「ならさっさと説明しなさい」
「えっと、その、これには深い事情があって・・・・」
「深い事情って?」
「それは、あの、う〜・・・・・・あはは」
「そう・・・・・つまり、私には話せない事情ってことね」
怜莉の声がどんどん温度を下げていく。昨夜に続いて朝まで折檻を受けるのなんて御免だ!俺はその一心で、心をこめて怜莉を説得しようとして、
「いや、違うんだ!話せないっていうか、その、あのな、えと、と、とにかく!お前が想像しているようなことじゃない!」
「言いたい事はそれだけかしら」
「・・・・・・・・はい、ごめんなさい」
諦めた。
向こうでエルリアが十字を切っているのが果てしなくムカついた。
登校前ということもあり、どうやら手加減されたらしい。動けないほどのダメージはなかった。怜莉が出て行った後、床に倒れ伏した俺は未だにベッドに横たわっているエルリアに話しかける。
「・・・今後、俺の部屋にいるときには金輪際大きな声は出さないでくれ・・・」
「わ、分かった」
エルリアも青ざめた表情で首肯する。
「・・・で、話の続きだけど」
俺は体を起こして、ソファに座り込む。
「口移しだとなんで平気なんだよ?」
「い、いきなり話を元に戻すな」
「一度血を容器に移し替えるとかすればいいんじゃないのか?」
それならばエルリアのトラウマを刺激しないはずだと俺は考えたが、
「それも無駄だ。吸血鬼ウイルスは非常に弱いものでな、空気に触れると数秒で死滅してしまうんだ」
あっさりと否定されてしまった。
「お前はいいのかよ、俺なんかとキスなんかして」
「・・・・いいとか悪いとかではない。これが私の義務だからだ」
「・・・・・・よく分からないな」
「結局は」
エルリアはそう言いながらベッドから立ち上がりこちらに歩いてくる。
「こうするしか方法はないというわけだ」
「俺としては心の準備と言うものが・・・」
俺のファーストキスは吸血鬼に成るための作業、セカンド、サードも似たようなもので終わるとは、何だか男の純情が踏みにじられたような気分だ。
やっぱり俺は色気とかそういうものとはとことん縁がないらしいな。
それから2週間が過ぎた。
「何も・・・何も思い出せないのです」
「・・・・どこから来たのか、自分が誰なのかも?」
「・・・はい」
「・・・・そう・・・ですか」
そこで怜莉が悲しそうな顔をする。隣にいる優莉もそうだ。そこで俺は何か言おうとするけど結局言葉が出てこない。
「・・・・・分かりました。それでは下がっていいですよ」
「はい・・・・・あの、姫様方」
俺は二人を見据えて、
「お二人は私が必ずお守りいたします」
俺がそう言うと二人は軽く驚いた表情をした後、
「「はいっ」」
満面の笑顔を見せた。
「はい、終わり〜」
「はぁ、緊張した・・・」
「でも由宇くん結構上手くできてたよ。上出来上出来」
「そうか?なら、良かったけど」
「そうね、初心者とは思えないぐらいだったわ」
「そんなに褒めても何も出ないぞ?」
そう、俺たちは台本の読み合わせをしていたのだった。2週間も徹底的にしごかれれば少しは俺だって上達する。と言うわけで台本の台詞に感情をこめて読みあわせをすることになったのだ。
「でも、本番はこれに加えて身振り手振りもあるんだろ?・・・大丈夫かな」
「大丈夫大丈夫。由宇くん上達早いからきっと大丈夫だって」
「と言っても、本番まであと2週間しかないんだろ」
「それはこれからのあなた次第よ。頑張って」
「はいはい」
俺は時間を確かめると、椅子から立ち上がる。
「じゃあ俺、工作室の方へ行ってくる」
「・・・・いいのよ、別に大道具のほうまでやらなくても」
「そうだよ、由宇くん。卓巳君たちだっているんだからさ」
「そういうわけにもいかないよ。俺は元々大道具係だし。それに怜莉だって兼任しろって言ったじゃないか」
「・・・あれは言葉の綾と言うものよ」
「どっちにしろ俺はやめないぞ」
俺がそう言うと二人は示し合わせたかのように揃ってため息を吐いた。
「本当に頑固・・・」
「本当に石頭・・・」
「ほっとけ」
「格好つけすぎて後に引けなくなっているだけじゃないかしら」
「きっと男に二言はないを実践してる自分に酔っているんだよ」
「そこまで言わなくてもいいだろ!?」
部室を出た俺は部室棟と隣接している特別教室棟へと向かった。この高校は特別教室だけで(何故か)100以上もある。俺はその一つの工作室に行きたかったのだが・・・。
「・・・また迷った」
右を見ても左を見ても工作室は影も形もない。
「はぁ、これで3度目だっけかな・・・・」
何でいつも迷うんだろ・・・?
だいいち、この学校は変にデザインにこだわってるから、構造がいまいち分からんのだ。少しは方向音痴の人間のことも考えてほしい。
(まぁ、急ぐわけでもないし。適当に歩いていれば着くだろ)
というわけで見学がてら特別棟をぶらつくことにした俺。しばらく歩いているとだんだん部屋の配置の法則が分かってきた。
(そうか、同じ分野の部屋は同じフロアにあるように出来てるのか)
とすると、この辺は・・・どうやら音楽関係の部屋が集まってるらしいな。
じゃあ次のフロアに向かうかと思った瞬間、一つの人影が目に入ってきた。
(あの娘は確か・・・・)
綺麗な銀の髪をしたその娘はどうやら俺には気付いていないようで、ある部屋の扉の窓を覗いていた。どうやら第2音楽室らしい(この学校は音楽室だけで4つもある。意味が分からない)。
見てるのも失礼かと思った俺がとりあえずそこを離れようと踵を返した時、突然電子音が辺りに響いた。
「!」
「!?」
しまったと思った時には銀髪の娘はこちらを向いていた。すこしくせのあるアッシュブロンドの髪とエメラルドのような透き通った翠の瞳。それと西洋人形のような愛らしい顔立ちに今は驚きの表情を浮かべていた。
まさしく図書館で見た少女だった。
少女は俺の存在を認識すると一目散に駆け出してしまった。
(何だか悪いことした気分だ・・・)
俺は深く溜息を吐きながら、未だにけたたましい電子音を鳴らしている携帯電話を開く。
「・・・もしもし」
『由宇人?今どこにいるの?もうミーティング始まってるわよ』
「あれ、もうそんな時間か?」
どうやら迷っているうちに練習時間が終わってしまったらしい。迷いすぎだろ、俺。
『とにかく、早く来なさい』
と一方的に告げられた俺は・・・・。
「さ〜て、どこをどう行けば部室棟に行けんのかな」
途方に暮れるしかなかった。
「疲れた〜」
言いながらベッドにダイブ。何だか最近いつも帰ってくるなりこうしている気がする。
(こんなに何かを頑張るなんてしたことなかったしな・・・)
だからと言うわけでもないだろうけど、何だか疲労気味だ。
「はぁ〜」
ゆくっりと息を吐く。いつまでもこうしていたい・・・・・。
「由宇人様、いらっしゃいますか?」
と思ったらノックと同時に水無月の声が。俺はベッドに倒れこんだまま「開いてるよ〜」と気の抜けた声を出す。
「失礼します」
水無月はそう言いながら扉を開ける。
「由宇人様。そろそろお食事の用意ができますので」
「・・・うん、分かった・・・すぐ行く」
そうは言ってもこの身体は一向に動き出そうとはしない。俺の強靭な意志をもってもこの戒めは破れないのか!・・・・ごめん、嘘ついた。
「由宇人様?どうかなされたのですか?」
水無月が心配そうな声色を出しながら近寄ってくる。
「なんでもないよ・・・・。ちょっと疲れただけ」
肉体的にも精神的にも。こりゃもうリポビ○ンDに頼るしかないかな・・・・。水無月は「そうですか・・・」と言いながら何だか考え込んでる風だった。
「さて、と、そろそろ起きるか・・・・・」
「あ、あの」
水無月が意を決したような声を出す。
「もしよろしければ、その、私がマッサージをして差し上げましょうか?」
「・・・え?」
夕食を終えた俺と水無月は今、俺の部屋にいる。
「ん、ふっ・・・・由宇人様、どうですか?気持ちいいですか?」
水無月は俺の身体に跨りながら腕を動かしている。
「ああ・・・・すっげー気持ちいい」
というわけで水無月にマッサージをしてもらっています。いい身分ですね。
なんか台詞だけ聞くとちょっといやらしい感じがするのは、思春期の男としては当然のことだ!・・・と思いたい。
「由宇人様、凄いこってますよ・・・・相当お疲れのようですね」
「最近演劇の練習が激しくて・・・・」
それにしても水無月はマッサージも上手いんだな、もしかして苦手なものは何もないのだろうか。ミスパーフェクトか。
「さて、と、もういいよ、水無月」
「でも、まだ10分しかやっていませんが」
「充分だよ。ありがとう」
これ以上水無月にマッサージしてもらっていると、いろんな意味でやばそうだ。
「そうですか・・・・まだまだ序盤だったのですが」
一体何分マッサージするつもりだったんだろうか。なんだか水無月の表情も残念そうに見えるような気がしないでもないようなやっぱりよく分かんない。
「うん・・・・なんか身体が軽くなった気がする。ありがとう、水無月」
「いえ、たいしたことでは・・・」
「そんなことないよ。水無月は料理も上手くて、しかもマッサージも出来るなんて凄いと思う。きっと水無月は将来いいお嫁さんになるな」
それはふと口を出た言葉だった。何気ない言葉なはずだった。だというのに、
「え・・・、あ、その・・・・・・」
水無月は僅かに頬を上気させるものだから、なんだか変な雰囲気が漂い始めてしまった。俺はと言うと頬を染めた水無月に見惚れていた。
(やっぱり水無月は可愛いな・・・)
普段、無表情で淡々としているがらあまり意識しないが、水無月はとんでもなく綺麗な女の子なんだ。
そんな綺麗な女の子が俺の前で頬を染めている状況というのは、今までまったく縁のなかった状況だったはずなのに、最近インフレを起こしたように頻発している気がする。それに憧れなかったかと聞かれれば、確かに否定は出来ないが・・・。
(しかし実際の場合、嬉しさより困惑が先立つんだな・・・)
と心の中で嘆息すると、とりあえず何かしゃべろうと口を開きかけたとき、
それはやってきた。
ドクン。
大きく心臓が脈打ったと思った瞬間、体中に信じられないほどの痛みが駆け巡る。
「あ・・が・・あああああ・・・!」
いつもの吸血鬼化の際の痛みなどとは比較にもならない。そう、これはまるで・・・。
(初めて吸血鬼化した時と同じ・・・?!)
「由宇人様!」
水無月が血相を変えて近寄ってくる。その状況もあの時と酷似していた。
「由宇人様!由宇人様!大丈夫ですか!由宇人様!」
(み・・・なづ・・・き)
体中を苛む激痛が、俺の脳から考える力を奪っていこうとする。目の前の人間が誰かも分からなくなっていく。
そして胸のうちから強い飢餓感が生まれる。
焦点を失った自分の瞳がまるで吸い寄せられていくように、目の前の人間の首に向かう。
血が欲しい。
心にわきあがる欲求。
血が欲しい。
それは瞬く間に俺の心を占領していく。
「が・・・あ・・・が・・ああ・・・」
「・・・由宇人様」
血が欲しい。
そしてここがどこなのか、自分が誰なのかも分からなくなっていく。もう頭にあるのはただ一つだけだった。
血が欲しい。
「どうぞ、私の血をお吸いになってください」
目の前の餌が自分からその透き通るように白い首を近づけてくる。
血が欲しい。
「あ・・・」
俺は力任せに餌を抱き寄せる。
血が欲しい。
視界にも何も映らなくなっていく。残るのは目の前に差し出されている首だけだった。
血が欲しい。
「由宇人様・・・・」
俺は体中を焦がす痛みを消すため、そして、このとどまることを知らない欲求を満たすため、その首にいつの間にか鋭く伸びたこの牙を突きたてようとして、
・・・・・。
・・・・牙を突き立てる?
誰が?
俺が。
誰に?
水無月に。
何のために?
血を吸うために。
「・・・・由宇人様?」
耳に心地いい声が聞こえてくる。
血が欲しい。
――お前はまた奪うのか。
そうだ。
血が欲しい。
――大事な人の命を奪うのか。
俺は誓ったじゃないか。
血が欲しい。
――あの時のように。
もう決して。
血が欲しい。
――自分だけ生き残るのか。
大切な人を傷つけないと・・!
血が・・・・。
「・・・ふ・・ざけるな・・・よ」
「・・・由宇人様?」
「・・俺は・・・もう絶対に・・・」
視界がはっきりとしてくる。それと同時に水無月の顔が目の前に広がる。
「失くさない・・・!」
「由宇人様・・・・」
「・・・ごめん、水無月・・。また俺は、君に・・・ひどい・・・くっ・・・こと・・・をする・・・とこ・・・ろだっ・・た」
「そんなこと・・・」
「悪い・・・んだけど・・・冷蔵・・・庫か・・・ら、輸血パッ・・・クを・・とってきて・・・」
「は、はい」
理性は取り戻したが、未だに激痛は俺の身体を巡っている。血の欲求もまた段々と高まってくる。
「由宇人様、どうぞ」
渡された輸血パックを長く伸びた爪で切り裂き、そのまま口に流し込む。
「・・・ぐっ・・・う」
辺りにむせ返るような血の匂いが溢れる。水無月にとっては悪臭のはずだが、心配そうに俺のそばにいてくれる。
「う・・ん・・・はぁ、はぁ・・・はぁ」
ようやく全ての血を呑み終えると、激痛と血の欲求は波のように引いていく。
「・・・・・ふぅ」
大きく息を吐く。見ると辺りに血が飛び散っていて、特に俺の口から胸の辺りなんか凄惨な殺人事件が起きたみたいになっていた。
「・・・大丈夫ですか?」
水無月がそう言いながら俺の顔を覗き込む。・・・きっと今の俺の顔はホラー映画から出演依頼が来てもおかしくないほどなので、あまり、そう、じっと見ないでください。
「もう大丈夫だよ・・・・また迷惑をかけた、ごめん、水無月」
「いえ・・・私は・・」
「・・・さて、じゃあここを片付けるかな・・・」
「私もお手伝いします」
二人で床に付いた血をふき取ったあと、俺は着ていたシャツをゴミ箱に捨ててシャワーを浴びれば、どうにかさっきの痕跡は消せたようだ。しかし・・・、
「なんか違うんだよな・・・」
「どうかしたのですか?由宇人様」v
ソファの横に立っている水無月が聞いてくる。片づけが終わった後に今日はもう休んだほうがいいと俺は言ったのだが「まだ少し心配なので」と言って俺の部屋に留まっている水無月。
「いや、大したことじゃないんだけど・・・・」
そう言いながら俺は身体を軽く動かす・・・やっぱりなにか違和感があるな。いや、違和感と言うより、むしろこれは・・・。
「身体が軽い・・・」
「どういうことですか?」
「なんて言うのかな・・・憑き物が取れたって感じ」
「・・・・もしかしたら」
水無月が何かに気付いたようだ。俺も多分合ってるだろう推測を口にする。
「多分・・・・・完全な吸血鬼に成ったんだと思う」
「・・・・・」
俺の言葉で生まれる静寂。俺は何故かいたたまれない気持ちになる。
何故か?いや違う。俺は自分でその理由を知っているくせに、傷つくのが怖いから考えないようにしているんだ。
「このことは正造さんに話しておいたほうがいいのかな」
「・・・そうですね」
「っと、それよりも前に」
俺はここから見えるはずもない塔の方角に顔を向ける。
「あいつに聞いてみるか」
「・・・すごいですね」
水無月がボソッと口にする。
「まぁ、これだけが取り柄らしいからな」
俺は走りながら答える。俺に抱きかかえられた水無月はそれっきり黙ってしまう。
そう、今俺は水無月を抱きかかえながら夜の庭園を走り抜けているのだ。どうしてこんなことになっているかというと、
「俺これからエルリアのところに行ってくる」
「それでは私も行きます」
「え、何で?」
「心配だからです」v
・・・・俺はそんなに頼りないのだろうか。ちょっとショックだなぁ・・・。
しかし、言ったら聞かないからな、水無月は。実はかなりの頑固者だ。
「・・・分かった。ちょっと荒っぽくなるけど、それはごめんな」
「?それはどういう意」
味ですかと水無月が声を出すときには、俺は水無月を抱えて(俗に言うお姫様抱っこで)部屋の窓から飛び降りていた。
「きゃっ」
水無月の悲鳴を聞きながら(ちょっとドキッとしてしまった)俺は危なげなく着地すると、水無月を抱いたまま走り出す。
「悪いな、水無月。このほうが早いから」
「・・・はい」
女の子を抱きかかえたのは生まれてこの方初めてだったので、実はかなり緊張している俺。
(うわっ、つい咄嗟に抱いちゃったけど、水無月怒ってないかな・・・?)
チラッと水無月を見るけど、水無月は俺の胸の辺りに顔を向けていて表情はよく見えなかった。
と、そのまま走り続けて1分(普通の人間が走ったら5分以上はかかっただろう)も経たないうちに俺と水無月は馬鹿でかい高さの塔の前に立っていた。
さすがと言うか何と言うか、この吸血鬼の身体は水無月を抱えて走っても息切れ一つしなかった。
「水無月はここに来たことあるのか?」
「いえ、初めてです」
錆付いた音を響かせながら開いた扉の奥は、これはまた以前来た時よりも暗く(まぁ夜だから当たり前だけど)薄気味悪かった。開いた扉の近くは月の光が入ってきてるので明るいけど、それ以外は普通の人間には見えないだろう(俺は吸血鬼なので暗視能力があるらしい。空間全てを見渡すことが出来た)。
「エルリアはこの最上階にいるんだけど・・・」
そう言いながら俺は階段を指し示す。階段は扉の近くにあったので水無月でも見えるはずだ。
「一番上まで行くにはこの階段を数十回分登らないといけないんだ。だから」
また俺が水無月を抱えたまま進んだほうがいい、と口に出そうとするが何故か出てきてくれなかった。
(さっきはよくあんなこと出来たよな、俺・・・考えてみるとセクハラだし・・・)
「分かりました」
「え?」
今まで黙りこくっていた水無月が突然声を出した。
「また私が由宇人様に運ばれればいいのですよね」
「・・・あ、ああ、、うん、そうしてもらえると助かる」
まさか水無月から提案があるとは思っていなかったので少しびっくり。
「申し訳ございません、由宇人様。私が同行を願い出たばかりに余計な苦労をさせてしまって」
何だか水無月が心底申し訳なさそうに言うので、俺は慌ててフォローしようと、
「い、いや、そんなことはない。今の俺なら水無月ぐらい抱きかかえるのは苦でもなんでもないし、むしろ、嬉しいっていうか・・・・」
口を滑らせた。しまったと思った瞬間俺はそんなことを言ってしまっていた。誰がどう聞いても変態発言じゃないか・・・・。これ絶対水無月引いた・・・・。
見るとさっきまでこっちを向いていた水無月はそっぽを向いてしまっていた。
(顔を背けられた・・・・!)
俺の心に致命的なダメージ。この家に来てから約2ヶ月、ようやく水無月とも仲良く慣れてきたと思っていたのに・・・。
「・・・・それではさっさと上ってしまいましょう」
しかし、数秒すると何事もなかったように水無月が振り向いてそう言ったものだから、俺のさっきの発言はスルーしてくれたと思っていいのだろうか。
「あ、ああ」
きっとぎこちなく頷いた俺は(恐る恐る)水無月を抱きかかえると何も考えないように、階段を上りだした。
「ラブラブだな」
開口一番エルリアはそんなことを言いやがった。
「ラブラブって、そんな言葉使ってるやつもういないぞ」
俺は水無月を降ろしながら、エルリアに言い返す。
「・・・・で、何の用だ」
ちょっと不機嫌になったらしいエルリアがそっぽを向きながら聞いてくる。
「実はな」
俺はさっき起こったことを手短に話す。
「・・・こういうわけだ」
「・・・・・」
エルリアは少し驚いた表情をした後、何故か凄く悲しそうな顔をした。でも一瞬で何の余韻も残さずに平静に戻った。
「・・・・そうか」
「で、どうなんだ。俺は・・・・完全な吸血鬼に成ったのか?」
俺の問いにかすかにエルリアの瞳が揺れる。
俺の隣で水無月も一直線にエルリアを見すえている。
エルリアは水無月を一度見た後、目を閉じて言った。
「ああ、その通りだ」
「・・・・」
その言葉を受けても俺には何の感情も湧かなかった。いや、湧かなかったのではなく、もしかしたら俺は考えることをやめていたのかもしれない。だからこんなにも冷静でいられたのだろう。
「そうか」
俺が短く呟いた言葉が静寂の中に溶けていく。
「終わったんだな」
その時、エルリアと水無月が泣きそうな顔をしたように見えたのは、きっと、俺の気のせいだったんだろう。
それからも俺の暮らしに大した変化はなかった。
普通に学校に行き、授業を受け、演劇の練習をして、家に帰り、そして眠る。むしろ半端だったときよりも楽になったともいえる。もう優莉と怜莉にばれる可能性はほとんどないのだから。
ただ、完全な吸血鬼に成ってしまったことでいくつか問題も生じた。
一つは身体能力が大幅に上がったこと。気を抜くと人間にあるまじき動きをしてしまうので注意が必要だ。
もう一つは、吸血鬼の証でもあるこの紅い瞳だ。まぁ、これはカラーコンタクトをつけることで簡単に解決したけど。
というわけでやっぱり大した変化はない。
このことを知っている皆の態度にも何の変化もなかった。
・・・・・でも、
俺の知らないどこかで、
何かが、
ゆるやかに、
変わったのかもしれない、
そう、思ったんだ。