『今は、まだ』

目を覚ます。
俺がいるのは、月明かりだけの暗い街道ではなく、暖かいベッドの上だった。
「くっ・・・」
胸が痛むが、それは今まで見ていた夢、いやエルリアの記憶のせいだということは分かっていた。
時計を見ると6時30分だった。普段だったらもう起きている時間だ。
俺はベッドから出ると部屋に備え付けられている洗面所で顔を洗う。その後に鞄に必要なものを詰める。そこで大切なことを思い出した。
今日は月曜で学校に行かなくてはいけない。だが今の俺は半分人間で半分吸血鬼の不安定な状態だ。だからいつ発作がくるか分からない。
そんな俺が学校に行くのは危険だと正造さんは言い、俺もそう同意したのだが、困ったことにそれだと怜莉と優莉に感づかれるかもしれないのだ。
ということであの二人を抜いた、正造さん、真さん、弥生さん、水無月(どうやら体調は良くなったらしい。本当に良かった)、エルリアと俺で話し合うことになった。
「さすがに一ヶ月も学校に行かないとなると二人も変に思うだろうね」
と真さん。
「この際でしたら、怜莉様と優莉様には事情をお話しになったらどうでしょう」
そう弥生さんが正造さんに提案するが、
「今の二人に全てを話したら、きっと精神に多大な悪影響を及ぼします」
と何故か断定口調の水無月。
「どうしたものかな・・・・」
腕を組む正造さん。当事者である俺は何も出来ずにただ聞いているだけだった。そして同じように黙ったままだったエルリアが突然口を開いた。
「要は吸血鬼化しなければいいのだろう?」
「そうだけど、何か考えでもあるのかい?」
「・・・・・・・」
真さんがそう聞くとエルリアは口を閉じてしまう。話し合いはそれ以上進展せずに沈黙する時間だけが長々と増えていく。そんな中俺は思い切って自分の考えを言ってみることにした。
「突然俺が面会謝絶の大病にかかったことにするのはどうでしょう。それなら多少不審がられても、それだけです」
あながち外れでもないし、と付け加える。「やっぱりそれしかないですね」「あの二人を説得するのが大変だなぁ」「それが一番確実か・・・」と弥生さん、真さん、正造さんが言う中、水無月は心なしか不機嫌そうだった(と言っても顔は無表情のままなので、あくまで俺の推測だが)。
「それじゃ、これで決」
「一つだけ方法がある」
決まりですね、と言おうとした瞬間黙ったままだったエルリアが口を挟んだ。
「エルリア?」
「方法があるのですか?」
問いかけたのは水無月で、エルリアは答えづらそうにしながら(何故かしきりと俺を見ていた)、重々しく口を開いた。
「・・・・・・・・・今のこいつが血を飲むときに吸血鬼化するのは、一つは吸血鬼の状態を身体に慣らすため、もう一つは吸血鬼ウイルスを繁殖させるためだ。だからウイルスを摂取させれば、少なくとも吸血鬼化の頻度は少なくなる」
それはつまり、と俺が思ったと同時に、
「つまりエルリア様の血を由宇人様に飲ませればいいんですね」
と水無月がなんでもないように言った。
「・・・・・そうだ」
不承不承と言った感じでエルリアがうなずく。すると真さんがからかい口調で口を挟む。
「それならそうとさっさと言ってくれよ」
「うるさいなっ、そもそも私がこんなことをする義理なんてないんだ。感謝してほしいぐらいだ」
「そうだな・・・・ありがとう、エルリア」
俺がエルリアに向けてお礼を言う。本当に俺は感謝していた。この時期に学校に行かないとなると、きっとクラスに馴染めなくなっただろうから。
「・・・・別に、気にするな」
そっけなくエルリアは言った。そこで話しあいは解散となった(ちなみに俺の部屋だった)。翌日の朝に俺の部屋にエルリアが来ることになっているのだが・・・・。
「遅いな」
俺としてはさっさと終わらせて下に下りたいのだが。
と俺が制服に着替えてベッドに座りながら、吸血鬼って低血圧なのかな、とかどうでもいいことを考えていたら、突然窓がバキッと音を立てて開かれた。
「・・・・・さっさと済ませるぞ」
現れたのは傍目にも不機嫌だと分かるエルリアだった。と言うか普通にドアから入ってこいよ、と注意しようと思ったが、不機嫌オーラを振りまいているエルリアを前にそれは出来なかった。
「それで、どうやるつもりなんだ?」
今の俺は吸血鬼化していないので、俺が血を吸うことは出来ない。
エルリアは俺の質問には答えず、一直線に俺に向かって歩いてくると、両手で俺の頭をがっちり掴んだ。
(なんかこれってデジャヴを感じるなぁ)
というか完全にあの時の再現だった。エルリアは顔を赤くしながら、その顔をゆっくりと俺に近づけてきて・・・・。
「ストップストップストップ!」
俺は慌ててエルリアを引き離す。
「血を飲ませるって、ほかにやり方あるだろう!?」
「ううううるさい!こっちだって恥ずかしいんだ!文句を言うな!」
「だから別のやり方でやればいいじゃないか!なんでキスなんだ!」
「キ・・・・!?」
エルリアは顔の赤さを3段階くらい引き上げると、声を荒げて詰め寄ってきた。
「お、お前は、そんなことを思っていたのか!」
エルリアにすごい剣幕で襟首を掴まれる。まさか2日連続で女性からこんなことをされるとは思っていなかった。
「いいか!あれはく、く、口づけではなく、ただの儀式だ!だから、お前も、か、勘違いするなよ!」
「何を勘違いするんだよ・・・」
「いいから!お前は黙ってろ!」
結局、前と同じように無理やり血を飲まされた。エルリアは顔を赤くしながら、「用心のために輸血パックは持っていけよ」と言い残して再び窓から出て行った。
俺は一回ため息をつくと、
「窓の鍵どうするかな・・・・」
開け放たれた窓から青空が見える。今日はいい天気のようだ。

「ねぇ、由宇くん。今日からちゃんと欠かさずに部室に来てね」
俺の教室の前で優莉が言う。
「欠かさずって、俺大道具係だろ?部室じゃなくても作れるし別に毎日行く必要はないんじゃ」
「来なかったらどうなるか・・・・・分かってるわよね」
すいません。言ってみただけです。
口答えなど許さないといった感じの怜莉の口調だ。二人の前には俺は蛇に睨まれた蛙、赤信号の前の車だ。
「分かったよ・・・。行きます行きます」
「仲がいいんだね,3人は」
突然声がかかった。見てみれば、
「あ、春音ちゃん。お早う〜」
「おはよ、優莉。怜莉も」
「ええ、春音」
いつの間にか、俺の後ろに春音が立っていた。
「おはよ、水戸君」
「ああ、お早う、春音」
俺は何気なく挨拶をした。だけなのだが、
「何で由宇くんが春音ちゃんのこと呼び捨てなの?」
「いつからあなた達そんな親密になったのかしら?」
何故か二人に廊下の壁に押しやられていた。なんで突然こんな状況になったのかは知らんが、とりあえず二人を宥めようと口を開く俺。
「別に親密ってわけじゃなくて春音が」
「だって私たちデートする間柄だもん」
強制させたんだ。という言葉を言う前に、春音の口から核ミサイルが発射された(俺限定の)。
「デート・・・!」
「どういうことかしら!?」
「ぐふっ」
二人同時に俺の首を壁に押し付ける。そんな俺たちを物珍しそうに眺めているギャラリーが出来ていたが(「またあいつばっかり・・・・!」とかほざくバカが一人いた)、二人はまったく構わずに俺の首を締め付ける。
「く、苦しい・・・・」
「この前の土曜日にも一緒に街で遊んだし」
春音から第二撃が放たれた(とどめ)。
「由宇くん!」
「由宇人!」
こりゃ死んだな、と俺が思った瞬間、ホームルーム開始1分前のチャイムが鳴る。野次馬が騒ぎながら解散していく中、怜莉と優莉も渋々といった感じで手を放す。
「・・・・昼になったら部室に来なさい」
「全部聞かせてもらうからね」
死刑宣告にも等しい言葉を残して自分たちの教室に向かっていった(ほかの生徒が次々に道を開けていくのがとても怖かった。モーゼの十戒か)。
「じゃあ私たちも教室入ろ」
春音が笑顔で言ってくる。
「・・・・春音、お前俺に恨みがあるんだな、そうなんだな!」
「あはは、何言ってるの、水戸君、そんなわけないじゃない」
「まったく・・・何を遊んでいるんですか、春音」
ふと見ると小鳥遊さんが教室のドアのところに立っていた。
「あ、璃瑠、おはよ」
「お早うございます、春音、水戸君」
「・・・・お早う」
「さっさと教室に入ったらどうです?」
小鳥遊さんに促されて教室に入る。俺は自分の席に座ると、机に身体を投げ出す。
「・・・・俺死んだ」
「大丈夫だよ、きっと半殺しで許してくれるって」
春音が笑顔で言ってくるのが憎らしい。くそっ、元凶のくせに!
「あまり水戸君をいじめてはいけませんわ、春音」
「だって水戸君って、いじめたくなるんだもん」
「お前な・・・・」
俺は大きく溜息を吐く。どうやら家にも学校にも俺の安息の地はないようだ・・・・。

4時限目が終わり、俺にとっての地獄の昼休みが始まってしまった。
「行きたくねぇ・・・・」
つぶやく俺に、春音が(悪魔の)笑顔で話しかけてくる。
「思い切ってボイコットしちゃえば?」
「そんなことしたら絶対に死ぬ・・・・」
「じゃあ覚悟決めるしかないね!」
「他人事のようだな・・・」
「だって他人事だもん」
悪びれず言う春音に、お前のせいだろ!と言ってやりたかった、言っても無駄な気がするけど。
「頑張ってね〜」
俺は席を立って、弁当を手に取り教室を出ようとすると、
「・・・・怜莉ちゃん、優莉ちゃん、春音ちゃんに加えて璃瑠亜ちゃんまで!」
バカが一人、扉に手をついて立っていた。
「何故お前ばっか、そんなにもてるんだ!俺なんかまともに話をしてもらったことさえないのに!」
今の俺にはバカを相手にする気力なんてないので無視して通り過ぎていく。
「おいっ!無反応ってそれはそれで酷すぎるだろっ!」
「有彦、哀れな奴・・・」
「でも俺あいつ見てるとなんだか元気が湧いてくるんだよな」
「あ、俺も俺も」
「やっパリ自分より下がいるって元気出てくるよな〜」
「お前らも勝手なことばっか言ってんじゃねぇぇ!!!!」
有彦の咆哮を背中越しに聞きながら、俺は重い足取りで演劇部部室に向かった。

部室の扉の前で立ち止まる。ここから先は地獄だ。覚悟を決めなければならない。
俺は大きく深呼吸して、一気に扉を開く。
「・・・・・」
誰もいない。部屋中を見渡しても金色の閻魔大王(二人)はいなかった。
「自分たちで呼んでおきながら・・・・」
拍子抜けする。なるほど、これが肩すかしと言うやつか。あんだけ覚悟を決めたのに。
さてと、とりあえず教室に帰るわけにはいかないから、ここで弁当でも食いながら待つとするか。俺は扉を閉めて、窓際においてあった椅子に座り弁当箱を広げる。
「・・・・まだまだ水無月には勝てそうにないな」
色とりどりのおかずを見ながら、俺はつぶやく。どうやったらこんなに竜田揚げを美味しく揚げられるのだろうか。
俺は黙々と箸を進める。
「・・・・こういうのもいいな」
俺は窓から雄大な自然を覗く。誰もいない教室で一人弁当を食うというのも悪くない。傍目から見れば友達のいないさびしい奴だろうが。
「こっちに来てから、騒がしいのばっかりだったからな」
まぁ、そういうのも嫌いじゃないんだが、たまには独りでゆっくりとしていたい。
と俺がそんなことを思いながら弁当を食い終わった時、部室の扉がノックされた。その後に「失礼します」という澄んだ綺麗な声が聞こえてきたと思ったら、扉が静かに開いた。
扉が開いたそこにいたのは、二人の少女だった。
どうやら1年生のようだ。この学校は学年ごとに制服が違うので(俺からしてみれば贅沢のきわみだ)見分けることが出来る。
「あの、こちらは演劇部でよろしいですか」
最初に口を開いたのは、長い黒髪の少女だった。使い古された表現だが、日本人形のような子だった。きっちり揃えられた煌びやかな黒髪に、小さくまとまった端正な顔立ちはそう表現するしかない。
「そうだよ」
俺が弁当を仕舞いながら返すと、黒髪の少女は持っていた一枚の紙を俺に手渡す。
「私たち演劇部に入りたいのです」
なるほど、入部希望者か。それに私たちっていうことは。
「そっちの君も入部希望?」
さっきから一言もしゃべらずに、何故か鋭い目つきで俺を睨んでいる少女は、隣の少女とは逆に欧米人のまるでモデルのような子だった。長いストレートの髪は、ブロンドの、光の当たり具合で白金にも見える綺麗な髪で、その顔立ちも欧米人のように目鼻立ちのくっきりとした、かわいいと言うよりきれいだといったほうがしっくりくるものだ。しかし、その綺麗な顔は眉間にしわを寄せながら俺を睨んでいた。
「・・・・・・」
「そうです。クリス、入部届けを渡さなくては」
黒髪の少女にそう言われて、見るからに嫌そうに俺に紙を渡す(渡すというか捨て置くと言った方が適切)。なんだろう、機嫌でも悪いんだろうか。
「私、神楽月姫と申すものです。これからどうぞよろしくお願いします」
「えっと、俺は水戸由宇人。こちらこそよろしく」
「水戸・・・由宇人さん。ああ!あなた様が星織家の養子となった彼の人でしたか」
「え、あ、まぁ」
どうやら新入生にまで俺のことは知れ渡っているようだ・・・・なんつうか、おばさんのネットワーク並みの伝達速度だな。もう慣れたのか、不快感は湧かなかった。
「・・・えっと君の名前は?」
俺はいまだに俺に向けて険しい顔をする少女に話しかける。
「・・・・・・」
「クリス?どうかしましたか?具合でも悪いのですか?」
「・・・・・別にそうじゃないわ」
やっと口を開いた。何だろう、外見に似合わず無口な子なのだろうか(欧米人は皆陽気という偏見が俺にはある)。
「・・・・紙」
せっかく口を開いたのだが、何であなたとは口を聞くのも嫌という態度を俺に対してとるんだ?別段何もしていないと思うんだが。
「あーなるほど、そういや入部届けに書いてあるな」
俺がそう言うとその少女はさらに機嫌を悪くしたのか、親の仇でも見るかのような目を俺に向ける。
「えっと・・・・小鳥遊クリスティーナ、さん」
あれ、小鳥遊って確か・・・。
「君ってもしかして小鳥遊さんの妹?」
「・・・!」
小鳥遊なんて珍しい苗字だし、きっとそうだろうと思って俺がそう聞くと、
「あんたには関係ないでしょう!」
俺に向けてそう怒鳴って、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
「・・・・・?」
いきなり怒鳴られた俺はわけが分からない。神楽さんを見ると、彼女も驚いているようだった。
「えっと・・・彼女っていつもあんな感じなの?」
「・・・いえ、少々きついところはありますが、初対面の殿方に怒鳴る人ではないと思うのですが・・・」
「・・・・まぁ、いいや」
少しムカッときたが、別に初めて会った人間に嫌われようが別に構わない。
「とにかく、入部届けは俺から部長に渡しておくから」
「はい、お願いいたします」
丁寧に神楽さんは一礼して、彼女も部屋を出て行く。ちゃんと扉を閉めていったのが、育ちのよさを伺わせる。
「さてと、俺もそろそろ戻るかな」
俺がそう言って、椅子から立ち上がろうとしたその時、閉まっていた扉がやけに嫌な音を響かせながら開いた。
「由宇くん、お待たせ」
「さてと、覚悟は、できているわよね?」
俺はここに来た最初の目的を思い出し(頭から血の気が引くというのはきっとこんな感じなんだろうな)、昼休み終了のチャイムが鳴るまで延々と優莉と怜莉の尋問(いや、あれは拷問だった)を受け続けた。

どうにか午後の授業が始まる前に教室にたどり着けたのだが、もはや満身創痍、気力だけで立っていた俺は崩れ落ちるように自分の椅子に座った。それからは顔を上げる体力も精神力もなく、かといって節々の痛みで眠ることも許されない。なぜか先生は授業を聞いていない俺を注意することはなかった。
そんな地獄のような時間が終わり、少しは回復した俺に春音が恐る恐るといった感じで話しかけてきた。 「・・・・・・大丈夫、水戸君」
「・・・・大丈夫に・・・見えるか?」
ここにいるのは人間でも吸血鬼でもなく、一体のゾンビだった。
「やばい・・・・部室に・・・行かなければ・・・。でないと・・・殺される」
ゾンビ(俺)はのろのろと鞄を手に掴み、椅子から立ち上がる。
「何と言うか・・・・余命1時間の末期患者みたいだねっ」
「・・・・・・・」
みたいだねっ、じゃねぇ。
「・・・お前、俺がどうしてこんな目にあったのか、分からないとは言わさんぞ」
「水戸君が怜莉と優莉を怒らせるのが悪いんだよ」
・・・・神よ、ここに魔女がいます。というか俺の周りは魔女ばかりです。何か俺が悪いことをしたでしょうか。
「はぁ」
俯いてため息をつく。どうも最近ため息をつく回数が多いような気がするのだが。
「・・・あなたも大変ですわね」
ふと顔を上げると小鳥遊さんが心配そうに俺を見ていた。
「ありがとう・・・そう言ってくれるのは君だけだよ」
「何よぉ、私だって心配してあげてるじゃない」
春音がそう言って頬を膨らます。春音はどうやら心配という言葉の意味を間違えているようだ。今度ゆっくり教えてやらなければ。
「・・・じゃあね、小鳥遊さん・・・・・あと春音」
「何、そのとってつけたような感じ!」
ギャーギャー騒ぐ春音から逃げるように俺は教室を出て昼以上に重い足取りで部室へと向かった。

「ということで、もう5人も入部を希望してくれる人がいます」
教壇に立ち話し出したのは副部長たる衿間さんだ。部長の優莉は椅子に座って足をブラブラしてる・・・・お前本当に部長なのか・・・?
「この調子なら金曜日までには入部者を予定数確保できそうです」
先週の部活動説明会から一週間後の金曜日が一応の入部締め切りだ。もちろんそれ以降も入部は出来るが。
「金曜日までは各自基本練習と舞台製作をお願いします」
ミーティングが終わると、各々の作業へと入っていく。俺は一人しかいない大道具係なので何をしていいか分からない。さて怜莉にでも聞くか、と立ち上がった瞬間上擦った声が聞こえてきた。
「あ、あのっ」
横を見るとそこにいるのは朝霧さんだった。何故か異様に緊張しているみたいだ。頬が上気して赤くなっている。なるほど、そういえばこの娘はこんな感じだったな。多分すごい人見知りなんだろう。
「何?朝霧さん」
「あ、名前覚えていてくれてたんですね、あ、ありがとうです」
「あ、いえ、どうも」
朝霧さんが頭を下げてきたので、つられて俺も頭を下げる。って違うだろ。
「で、なに?」
「あ、その、えっと、あの、こ、これ」
朝霧さんが一冊の冊子を俺に手渡す。これは・・・・必要になる道具のリストか。
「こ、この丸印が書いてあるのが、み、水戸君の担当だから」
「分かった。ありがとう、助かったよ。正直何をしたらいいのか分かんなくて」
「どういたしまして」
朝霧さんが屈託なく笑う。その笑顔を見ながら俺は失礼と思いながらハムスターやウサギを連想していた。
俺が何を思っているかなど露も知らずに、朝霧さんは自分の作業に入っていく。
「さて、と」
俺はもう一度冊子に目を通す。全体的に見て丸印が付いているものは少ないな。え〜と、お城にありそうな椅子、お城にありそうなテーブル、お城にありそうなタンス、お城にありそうなシャンデリア(無理な無理でい〜よ)、お城にありそうなベッド・・・・?一体どんな劇をやるんだか、というかこれ書いたの優莉だな。
まぁいいや、とりあえず何かしら手をつけるか、と思ったと同時に俺はとんでもないことに思い至った。
(そういや、材料はどうすんだ?)
辺りを見渡しても木材なんか落ちてるわけもない。当たり前だが材料がなきゃ作れるわけがない。ふと朝霧さんを見ると窓際の大きなテーブルで黙々と作業をしている。そのテーブルの上には色とりどりの布が置かれている。
(まさか、自分で調達するわけじゃないだろうな)
うーん、このお金持ち学校ならありうるな。まぁ、何にせよ聞けば分かることだ。
「おい、優莉」
「ん、なぁに?由宇くん」
ということで俺は椅子に座りながら台本らしきものとにらめっこしていた優莉に聞くことにした。まぁ曲がりなりにも部長らしいからな。
「この、大道具の材料ってどうやって調達するんだ?」
「あ〜、そっか。由宇くんって大道具も作るんだっけ」
と言いながら優莉は衿間さんのところに行き、二言三言言葉を交わした後戻ってきた。
「ちょっとついてきて」
優莉はそのまま黒板の横にある扉の中に入っていく。俺がその後を追って扉の中に入ると、そこは教室の半分くらいの面積の部屋だった。いろいろなものがランダムに配置されている・・・・まぁぶっちゃけ物置と言った方が早い。その片隅に置かれているなんだか怪盗○パンが盗みに来そうな金庫があった。
優莉はその金庫を何度かダイヤルを回して開け、その中から一つの封筒を取り出した。
「はい、これが今回の劇の材料費だよ」
俺は優莉の手から封筒を受け取り、中を開けて絶句する。
「な・・・・」
「今回はコンクールに出るわけでもないから、ちょっと少ないかもしれないけど」
少ない?これで?その封筒にはざっと見積もって諭吉さんが50人ぐらい入っていた。
「買い物は駅前のホームセンターでお願いね、そこだったら少しは我侭利くから。あ、ちゃんとレシートはもらってきてね。着服しちゃダメだよ〜?」
優莉は笑いながらそんなことを言っている。そんな優莉を見てると、なんだかこんなことで驚いている自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。そうだよ、金持ちの非常識さにはもうとっくに慣れたはずだろ、俺。
「お金を使うときは私か楓ちゃんに言ってね。この金庫の番号を知ってるのは私たちだけだから」
「分かった」
うなずいた俺は持っていた封筒を金庫の中に戻す。
「あ、あれ?由宇くん何で戻しちゃうの?」
「何でって・・・・だってまだ設計図も出来てないのに材料なんか買えるかよ」
「え〜!いちいち設計図なんか書くの?テキトーに木材を切っちゃえばいいじゃん〜」
何と言うか、やっぱり優莉もお嬢様なんだな、と初めて実感した俺だった。

とまぁ、優莉の言うとおりにやってできるわけもないので早速俺は適当に空いていた机の前に座り設計図を書くことにした。した、のだが。
「何だ、このお城にありそうなシリーズは・・・・」
正直言ってどんなものを作ればいいのかさっぱり皆目見当も付かん。と思わせておいて実はおぼろげながら俺にもイメージは浮かぶ。これがあれだな、意味はわかんないけど何故かニュアンスだけは伝わるという優莉マジックだな。
だがこの場合ニュアンスだけ伝わっても何の意味もない。せめて絵とか写真とかがあれば何とかなるんだけど・・・。
「図書館に行ったらいいじゃない」
「わっ」
突然上から声が降ってきた。驚いた俺が振り返れば、そこにいたのは、声で分かっていたが、怜莉だった。 「これ書いたの優莉ね・・・もう、もっと分かりやすく書きなさいよ」
「・・・ていうか怜莉、もしかして俺口に出してた?」
「ええ。ブツブツと気味が悪かったわ」
「うわぁ・・・」
「由宇人、結構独り言多いわよ、気をつけなさい。時と場所を考えないと引かれるわよ」
「意識してやってるわけじゃないんだけどな。っとそういや図書館?図書室じゃなくて?」 「図書館よ・・・ほらここから見えるでしょう、あの広場のある・・・」
「えっ?あれって校舎じゃないのか?」
「違うわ。あれが第1図書館。式阪市立図書館とも兼用されてるわね。蔵書量は・・・そうね、日本で3位だったかしら」
「何なんだ、この学校・・・」
すごいすごいと思っていたが、まさかここまでとは。
「まぁいいや。じゃあ図書館に行ってくる」
「5時になったらここは閉めるから、それまでには帰ってきなさい」
「はいはい」

(改めて見ると本当にでかいな・・・・)
俺が1年の頃に通っていた学校よりも大きいかもしれない。こういうのをゴシック建築と言うのだろうか、これまた金がかかってそうな建物ですこと。
(とりあえず中に入るか)
木製の両開き扉を開け、館内へと入った俺は立ち尽くしてしまった。
扉を開けるとそこにあるのは幾数ものソファが並んだロビーだ。扉から10メートルぐらいまっすぐ進んだところに半円状のカウンターがある。そのカウンターを挟むように階段が上下に伸びていた。天井には幾つもの天窓が本に直射日光が当たらないように設置されており、とても幻想的な雰囲気に満ちていた。
(・・・・すごいな)
とまぁ感心してばかりもいられない。入り口の脇に案内板があったので、それを見て目的の本がある場所に向かって歩いていった。向かって歩いていったんだけども。
(さてここはどこだろう)
見事に現在地が分からなくなった。おかしいな、ちゃんと案内板を見たはずなんだけど。はぁ、ここでかすぎ。
俺の身長の二倍ほどまである本棚が3メートルほどで等間隔に並んでいて、それとは対称的にまったくもってランダムにテーブルやソファが配置されている。
そんなブックジャングルを彷徨っていたときだった。
「う・・・わ・・」
思わず感嘆の声が上がる。
一体どこをどうやって歩いてきたのかは分からないが、本棚と本棚の間に隠れるように机とソファが窓際に置かれていた。
十字の格子窓から差し込む4月のやわらかい光は、そこにある「少女の絵」を優しく演出している。
その「絵」の少女は机の上に腕を組んで顔をこちらに向けて静かに眠っていた。何より目に付くその髪は光を浴びて銀色に輝きながらその少女を美しく彩っている。
「綺麗だな・・・・」
最初俺は本当に絵かと思った。そう錯覚してしまうほど、その少女は可憐だった。
どのくらい彼女を見つめていただろうか、ふと俺はとても恥ずかしいことをしていると気付き足早にそこを去った。まだ見ていたかったなと後ろ髪を引かれながら。

幾つかそれらしい本を見つけ、デザインや設計図のあるものはそれをノートに写すことに没頭していたらいつの間にか時間は4時半になっていた。
「さて、そろそろ戻るかな」
俺は本を元の場所に戻し、図書館を出る。辺りに人気はなかった。既に太陽は沈みつつあり、空は茜色に染まっていた。
俺はこの黄昏時が一日の中で一番好きだ。夜が明け朝になる時と、日が沈み夜になる時、どちらも世界が切り替わる時間。まるでその間だけ時計の針が止まっているかのように思えるほどのノスタルジックに浸れる。まぁ、ただのかっこつけと言われたらその通りだけど。
そんなことを思いながら俺が部室棟への道を歩いていると、部室棟と校舎を繋ぐ連絡通路の辺りはちょっとした広場があるのだが(ちょっとしたと言っても噴水や花壇があるぐらいだが、この学園にしてはと言う意味で)、そこに見知った顔を見つけた。
(あれって・・・・小鳥遊さんだな)
小鳥遊さんがその噴水の前に立っているのだが一人ではなかった。小鳥遊さんと向かい合うように背の高い男子生徒がいた。
二人は何か話し合っているようだった。主に男子生徒がしゃべっているだけで、小鳥遊さんは表情を変えないままどこか辛そうに立っていた。
やがて小鳥遊さんが一言二言言うと、男子生徒は黙ってその場を去っていった。
(うわぁ、今のってもしかして・・・)
俺はそんな邪推を思い浮かべながら、小鳥遊さんに見つからないように(別に覗こうと思ったわけではないけど、なんか気まずいし)さっさと部室棟に入ろうとすると、踵を返した小鳥遊さんとばっちり目が合ってしまった。
「あっ」
「・・・・・ども」
俺と小鳥遊さんの間に非常に胃に悪い空気が流れる。さてどうやってこの場を切り抜けようかと俺が思考を巡らしていると、小鳥遊さんがこちらに歩いてきた。
小鳥遊さんは俺の前まで来ると、とても言いづらそうに口を開いた。
「・・・・見ました?」
「・・・うん」
見てしまったのはしょうがない、と俺は正直に答えた。だがそれ以上会話は続かず、またしてもさっきと同じ空気が流れる。俺としてはさっさとこの場を離れたいので、とりあえず適当に終わらそうとどうでもいいことを口走る。
「小鳥遊さんってもてるんだね」
「・・・べつに・・・そういうわけでは・・・」
なんだかいつもの小鳥遊さんと様子が違うな。と言ってもまだ知り合ってから2日しか経っていないわけだが。まぁ告白の場面を誰かに見られると言うのはひどくばつの悪いものなのかもしれない(だって俺そういうこと未経験だし)。と、そこで俺はあることを思い出した。
「そうだ、小鳥遊さんって妹いる?」
「・・・・・・!」
俺がそう聞くと何故か小鳥遊さんはひどく驚いた表情を浮かべる。
・・・・?何だろう、俺そんなに変なこと聞いたか?
「・・・・どうしてそんなことをお聞きに?」
「いや、今日演劇部に苗字が小鳥遊の娘が来たから、もしかしてって思って」
「・・・・・・そうですか・・・・」
小鳥遊さんは小さくそう呟くと、俺を見すえてこう言った。
「・・・・はい、確かに私には妹が一人います」
小鳥遊さんはそれだけ言うと口を閉ざした。うーん、どうやら立ち入ったことを聞いたようだ。まぁ家庭の事情なんて色々だしな。
「変なこと聞いてごめん・・・じゃあ俺そろそろ部室に戻るよ」
「はい、それではまた明日」
と小鳥遊さんは正門のほうへ歩いていく。俺はそれを横目に見ながら部室棟の玄関に向かった。