『硝子の平穏』

「うん・・・・う・・う・・・・・・朝か」
まぶしい朝の光が俺の部屋に差し込んでくる。俺の部屋には東向きに窓があるので朝の日当たりは抜群だ。このベッドも枕もふかふかで心地よい眠りを提供してくれる。おかげでこの家に来てからは朝起きるのが辛くなくなった。とても気持ちよく起きることが出来る。今までの朝とは大違いだ。
「ふぁわぁぁ・・・・・、さて」
俺は横を見る。今までと違う点がもう一つあった。これはなかなかに厄介で何度対処しても一向に撲滅することが出来ない。俺が寝ているベッドは大きく大人2人が優に寝ることが出来るスペースを持っている。俺はいつもそのベッドのちょうど真ん中に寝ているのだが、朝起きるといつも端の方によって行っている。別に俺の寝相が悪いというわけじゃない、自慢じゃないが俺は睡眠中はまったく動かない性質なのだ(まったく持って自慢ではない)。
では何故か?その答えは簡単。ちょうど今俺の横でもぞもぞと動いている金色がその原因だ!
「起きろ!バカ優莉!」
俺はバカ優莉の耳元で叫ぶ。すると弾かれたようにバカ優莉が体を起こす。顔をこちらに向けて、バカ優莉がまるで親の仇でも見るかのような恨めしそうな瞳で俺を見てくる。
「うぅ〜、まだ6時じゃない。もっと寝させて・・・・・」
そう言ってまた布団をかぶる優莉。俺は即座に布団をはぐ。
「・・・由宇く〜ん、何でそんな意地悪するの〜?」
「もっと寝ていたいなら自分の部屋で寝ろ。俺のベッドに入ってくるな・・・・はぁ、これで何度目だよ」
「だって誰かと一緒に寝たほうがよく眠れるんだもん」
「なら怜莉と一緒に寝ろよ」
「だって怜莉ちゃん嫌がるんだもん」
「俺も嫌だ」
俺がそう言うと優莉はニヤリと笑った。う、なんか不吉な予感が。
「そんなこと言っちゃって〜。ホントは嬉しいくせに〜」
そう言いながら優莉が俺に向かってジャンプする!?
「グフッ!」
フライングボディープレスを食らった俺は優莉にのしかかられたまま情けなくうめき声を上げる。もっと詳しく言うのならちょうど優莉のひじの部分が俺のみぞおち部分を見事に強襲し、今の俺は悶絶中であります。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・な・・・・・・・・・・にを・・・・する・・・・俺・・・・・に・・・うら・・・・みでも・・・・・あるのか・・・・?」
昨日の仕返しか!?
「だ、大丈夫!?由宇くん!」
まさか自分のフライングボディープレス(肘鉄付。威力強)がここまでのダメージを与えるとは思っていなかったのか、俺の上にのしかかったまま狼狽して俺に顔を近づけてくる優莉。すると俺の目の前にちょうど優莉の胸がある体勢になるので、肉体的にも精神的にも辛い状況になってきた。
「は、早くどいてくれ!」
俺はどうにかのしかかっている優莉をどかすことに成功する。あー、何でこんな朝っぱらからこんなに疲労しなくちゃいけないんだ。
「う〜ん、私もすっかり目が覚めちゃったよ」
「・・・・・・・・・・・・それはよかったな」
学校サボりたくなってきた・・・。

本来ホームルーム前の教室は騒がしいものなのだが、この時期クラス替えがあったばかりなので話している者は少ない。まぁ、これから同じ時間や場所を共有していくことによって仲良くなっていくのだろう。なんてことを思いつつ窓の外を見てボーっとしている俺。
「おはよう、水戸君」
声をかけられた。顔を声のした方向に向けると、目の前の席に黒髪の少女が座っていた。さらさらの黒髪を後ろでまとめて広げている。
「・・・ええと神之園さん・・・だっけ?」
「覚えててくれたんだ、うれしいな」
そう言ってにっこりと微笑む神之園さん。
「でもあまり苗字で呼んでほしくないかな。私、お友達にはみんな春音って呼んでもらってるの。だから水戸君も春音って読んでくれるとうれしい」
うーん、知り合ったばかりの人間を名前で呼ぶのは抵抗があるな。まぁ、本人がそう呼んで欲しいって言ってんならそうするしかないか。
「分かった。じゃあ・・・・春音さん」
俺がそう言うと春音さんはむっすりと口をへの字にした。
「さんはとってほしいなぁ」
「いや、それはさすがにちょっと・・・・」
自慢じゃないがもともと俺は女子に縁のない人生を送ってきた。女の子の名前を呼び捨てにするなんてそれこそ怜莉と優莉ぐらいしかいない(そういえば水無月もそうだ)。それだって家族だからって二人が俺に強制させてきたからだ。実はいまだにちょっと気恥ずかしいんだぞ。
「呼び捨てにしてくれないなら怜莉と優莉に言っちゃうんだから。水戸君が意地悪したって」
何!それは困る。そんなことを二人が聞いたらあいつらのことだ、きっと優莉はギャアギャア騒いで、怜悧が氷点下の瞳で絶対零度の言葉を吐くに決まってる。さすがにそれは嫌だ。
「・・・・分かったよ、春音。これでいいんだろう?」
「うん!改めてよろしくね、水戸君」
そう言ってまたもやにっこりと微笑む春音。その笑顔に昨日とは逆の感想を抱いた俺。というか昨日に続いて今日も女子に脅されるとはな・・・。もしかして俺の周りってこんなのばっかなのかな・・・。
「春音ちゃ〜ん!おはよう!」
すると突然悪魔の声が聞こえてきた!
「おはよう、相楽君」
「いやぁ、今日もいい天気だね。おお、水戸もいたのか。よっ、おはよう」
俺は再び視線を窓の外に移す。いい景色だ、森しか見えないが。
「お〜い、無視すんなよ〜」
しつこいな。俺は観念して視線を俺の横にいるバカに移す。
「やぁ、相楽君、おはよう。それで君の席はここじゃないよ」
俺は最上級の作り笑いを浮かべる。京都のお茶漬け以上の効果があるはずだ。
「まだいいじゃないか。予鈴がなるまで後10分はあるし」
ちっ、後10分もあるのかよ。つーか暗にあっちいけと言ったんだがなぁ・・・。こいつ、自分に都合の悪いことは耳がシャットダウンしていないか?
「あれ?水戸君と相楽君って知り合いなの?」
「まぁね、昨日水戸と友達になったんだよ、な」
「え・・・そうだっけ?」
そんな事実を俺は今はじめて知ったんだが。つーかこいつ妙に春音に対してデレデレしてるな。
「そういう春音ちゃんも水戸とはもう友達なんだ?」
「うん。私、怜莉とも優莉ともお友達だからね。水戸君のことは前から知ってたんだ」
うわぁ、嫌な事実が発覚したな・・・。俺のいないところで勝手に俺のことを話されるなんて気持ち悪いにもほどがある。いったい何を言ったんだ?あの二人は。どうせろくなことじゃないとは思うけど。
「・・・・なぁ、ちなみに何て言ってたんだ?」
恐る恐る俺は春音に尋ねる。
「知りたい?」
そう言ってニヤリとする春音。なんかどっかの誰かを彷彿とさせる笑い方だな・・・。
「ぜひ教えてくれ」
このままじゃ気になって夜も眠れない(誇張)。春音はその後予鈴が鳴るまで散々はぐらかした挙句(その間春音と俺は有彦を無視していた。トボトボと自分の席に歩いていったことだけは覚えている)こう言いやがった。
「うふふ。それはヒ・ミ・ツ」
そのとき俺は春音へのイメージを修正した。大人しい優等生からこいつは悪魔属性がある要注意人物だ!と。
つーか春音は有彦には呼び捨てで呼ばせてないんだな・・・・。有彦、何て哀れなやつなんだ。

今日も授業はなくガイダンスだけで終わってしまった。もちろん俺にしてみればとてもいいことである。仕度が終わり、さぁ帰ろうかというときに地獄の底から響いているのではないかと思わせる声が聞こえてきた。
「水ぃぃぃぃぃぃ戸ぉぉぉぉぉぉぉ・・・!」
言わずもがな相楽有彦である。なんかデジャヴを感じるのだが、ここはこの声を無視して帰るほうが賢明だろう。と俺は有彦を無視して教室の出入り口へと向かう(もうこの時点で有彦のランクは底辺の位置にある)。
「怜莉ちゃんと優莉ちゃんが迎えに来てるぞぉぉぉぉぉぉぉ・・・・!」
何をそんなに恨めしそうな声を出すのか分からないが、見てみると確かに怜莉と優莉がいる。
「怜莉ちゃんと優莉ちゃんがうちのクラスの前の廊下にいたから、話しかけてみたら『由宇人を待っているの』『由宇くんを待ってるんだよ』とハモられる始末だよ・・・・!」
「泣くな、有彦!いつものことじゃないか!」
「そうだぞ。女子がお前に興味を持つなんてありえるわけないじゃないか。だから気にするなよ」
「避けられても引かれても無視されても決してめげないのがお前の唯一の取り柄だろう?」
アレはフォローしてるのかそれとも貶しているのか判別がつきづらい言葉を後ろに聞きながら俺は二人に声をかける。
「二人とも何やってるんだ」
何か二人で話し込んでいた優莉と怜莉は声をかけてようやく俺に気付く。俺に用があったんじゃなかったのか?
「何やってるんだ、じゃないよ。私たち由宇くんを待っていたんだよ」
「学校が終わったなら俺なんか待たずにさっさと帰ればいいのに」
俺がそう言うと優莉は不満げな表情になった。
「何、由宇くん。まさか忘れてるんじゃないでしょうね?」
「?何のことだ?」
「由宇人、優莉、ここで立ち話をすると他の人に迷惑だわ。早く行きましょう」
そう言って怜莉は廊下を一人で歩き出す。俺と優莉はあわててその後を追う。しばらく歩いてふと俺は気付いた。
「なぁ、怜莉。玄関ホールはあっちじゃないのか?」
「・・・・・・」
無視。どうやら怜莉は機嫌が悪いようだ。怜莉は怒るととたんに無口になる。そのくせとっても冷たい瞳で睨んでくるから余計に怖い。これならまだ優莉のほうがいいかなと考えて、優莉は優莉で怒るとハリケーンになるからな、どっちもどっちか。それで何で怜莉は怒っているんだろう?
「優莉」
俺は怜莉に聞こえないように優莉に小声で話しかける。
「なぁに?由宇くん」
「どうして怜莉はあんなに怒ってるんだ?」
優莉はきょとんとした顔をして、
「分からないの?」
「さっぱり」
俺がそう言うと優莉はそっぽを向いてしまう。
「由宇くんのばーか」
優莉まで怒ってしまったようだ。ますますワケがわからない。それからしばらくは誰も一言もしゃべらない異様に重苦しい雰囲気が続いた。渡り廊下を渡って今までいた校舎から別の建物に移る。そこまで来てようやく俺は思い出した。
「あ、これから演劇部に行くのか」
俺が誰に言うのでもなく呟いたら、今まで氷のような静寂を保っていた怜莉がこちらを向いた。
「やっと思い出した?」
声はまだ氷点下だったが。
「悪かった。本気で忘れてた」
「由宇くんの忘れんぼ、痴呆症、アルツハイマー」
・・・何故そこまで言われなきゃならないのだろう?あんな方法で演劇部に入れられた俺からしてみればなんだかとっても理不尽な気がする。しかしこの二人の理不尽さには慣れたので(正確には昨日の時点で諦めた)もはや腹を立てることもない。というか口答えなんかしたら後が恐ろしい。これが普通の家族の関係といえるのだろうか?なんだか俺の位置が二人のおもちゃとして設定されてる気がする(怜悧と優莉の中だけと思いたい)、今日この頃である。
「ここよ」
怜莉はそう言いながら扉を開ける。その部屋は教室より広くおよそ二倍ぐらいだった。部屋のいたるところに照明道具やら大道具やら小道具やらが置いてありちょっと雑多な感じだった。中には数人の学生が談笑していた。
「みんないる?」
怜莉がその集団に問いかけると彼らは二人に気付き、その中にいた一人の男子生徒が答える。
「ああ、怜莉と優莉か。朝霧と琴宮がまだだな」
「その二人はホームルームが長引いてるんだよ。ほら、担任があの高西だからね」
一緒にいたもう一人の男子生徒も話に加わる。
「そうなんだ。じゃあ二人が来るまで待ってなきゃね」
優莉がそう言ったときに最初に答えた男子が俺の存在に気付く。
「それで後ろの彼は?もしかして例の?」
例の何だ。どうやら俺が思っている以上に俺のうわさは広まっているらしい。そういうのはとっても不快だが、まぁ人の噂は75日と言うしなと自分を無理やり納得させる俺。いや、75日ってけっこう長くね?
「みんなが来てから紹介するわ。それより明日の部活動説明会のことを話しましょう」
そう言って怜莉は優莉を連れてさっさと話の輪の中に入っていってしまう。取り残された俺は仕方なく邪魔にならないように部屋の中を見てみることにした。
「結構本格的だな」
誰にでもなく呟く。実際ここにある演劇に使われる道具はどれもよく作られていた。全て手作りなのだろうか?だとしたら大したものだ、と思ったけれどここがどんな人間が通う学校か思い出して、そんなわけないか、と思い直した。
部屋の奥にはステージも設置されていた。ここで仮稽古をするんだろうな、と自分があそこで劇をやっている場面を想像して・・・・・・・・・想像できないな。確かに興味があるとは言ったが、それはつまりやりたいってことにはならないんだよな。あー、なんだかとっても面倒くさくなってきたぞ。今から逃げる方法はないものかな。俺が真剣に怜莉と優莉を説得する方法を考えていたとき(最終的にそれは不可能という結論が出た)、部屋の扉が開いた。
「遅れて申し訳ない」
落ち着いた声と
「す、すいません!遅れましたぁ〜!」
てんぱった声が聞こえてきた。
なんだろうと思って見てみるとそこには女子が二人立っていた。一人は背が高く髪の短い少女、もう一人は隣の子とは対照的に背が低くカールした髪を後ろで束ねている少女だった。
「いいよいいよ。どうせ高西先生のホームルームが長引いたんでしょ?あの先生の長話は有名だからね」
と優莉が明るく答える。
「まったくもってその通りだ。高西め、今日は予定より30分も長引かせて、生徒の都合も考えないのか。こちらはとても迷惑しているというのに」
となにやら憤慨している背の高い人。
「わ、わたしは高西先生のお話好きだから、別に迷惑とは思ってないけど・・・」
「詠美は甘すぎる。わたしたちは一致団結して高西に抗議をしなければならないのだ」
「美琴ちゃんは厳しすぎるよ〜。今日のカンブリア紀のお話面白かったじゃない」
「確かに話は面白かったが、それとこれとは話が別で・・・」
そんなやり取りを見ていた俺は二人がどんな性格なのかおおよそ把握した。端から見ていると面白い組み合わせの二人だ。
「おしゃべりはそこまでね、美琴、詠美。ようやく全員揃ったのだし、話したいことがあるの」
怜莉が話を強制的に打ち切る。蚊帳の外にいた俺は離れたところでぼんやり窓の外を見ていた。なんかすげー所在無いな。そんなことを思っていたら、
「由宇人、こっちに来なさい」
怜莉からお呼びがかかった。言われるままみんなのところへ歩いていく。もうどうにでもなれ。俺が怜莉の横に立つと怜悧は凛とよく通る声を響かせた。
「皆も知ってるでしょうけど、私の弟よ。今日からこの演劇部に入部することになったわ。皆仲良くしてやって」
何だか転校生を紹介する先生みたいだな、と思いながら俺は口を開く。
「あー、今日から演劇部に入部する、水戸由宇人です。ここにいる怜莉と優莉の兄ということになってます、これからどうぞよろしくお願いします」
そこまで言うと優莉が俺の隣に進み出てきた。
「手のかかる弟だけど、みんな可愛がってやって〜」
・・・・・・・・・。俺の視線と怜莉と優莉の視線がぶつかる。
「・・・・・・兄だ」
「弟よ」
「誕生日は私たちのほうが先だよ〜」
「たった2週間の違いなんて無効だ。それより精神年齢は俺のほうが確実に上だ」
「何を根拠にそんなことを言ってるのかしら?それに精神年齢なら私が一番上ね」
「私だって〜」
「お前は10歳だ」
「それは失礼だよっ!」
「そうよ、いくら優莉だって12歳ぐらいはあるわ」
「・・・・・・怜莉ちゃん、ひどいよ」
「そういう怜莉だってこの間、俺が黙って外出しただけで怒ったじゃないか。すぐに怒るのは精神年齢が低い証だ」
「そんなことを言うなら由宇人だって、私にチェスで負けたぐらいでむきになったじゃない」
「それならお前だって・・・・!」
「あなたこそ・・・!」
「・・・・なぁ、もういいか?」
当然別の声が割って入る。俺たちはその声で自分たちが周りそっちのけで口論していたことに気付いた。
「ご、ごめんなさい」
よほど恥ずかしかったのか珍しく顔を赤くする怜莉。まぁ、確かにいつもの怜莉のイメージとは違うが、さっきのが怜莉の地だと俺は確信している。
「とにかく、つまり、そういうことだから」
強引に話を終わらせる怜莉。もういつもの冷静なヨロイで完全防備している。何たる早業、俺も見習おう、とか当事者なのに横でボケッーとしてる俺。
「それじゃ皆も自己紹介をしてもらえるかしら」
怜悧がそう言うと、まずさっきの割って入った声の男子生徒が口を開く。
「九条大和だ。よろしく、水戸。大和と呼んで欲しい」
九条大和はストレートの黒髪を真ん中で分けた、かなりの端正な顔立ちをした少年だった。アイドルにもここまで整った顔はいないと思うほどだ。口調も落ち着いていて、身長もかなりある。有彦とは大違いだ。
「僕は鷹栖川清正。好きなように呼んでくれてかまわないから。これからよろしくね、水戸君」
次に大和の隣にいた小柄な少年が自己紹介する。茶色がかった髪に温和な笑顔を浮かべている。とても穏やかで爽やかだ。やはり有彦とは大違いだ。
「神宗寺剣瑛」
そして清正の隣にいた、長身で黒髪を後ろでまとめている少年が名前だけ言って口を閉ざす。長い前髪に、眼鏡から除く切れ長の目は鋭く、うかつに触ると切れてしまいそうな雰囲気を漂わせている。
「・・・・だめだよ、剣。もっとちゃんと自己紹介しなきゃ」
隣にいる清正が話しかける。
「名前だけ伝えれば十分だろう」
「それはそうだけど、もっと言い方ってのがあるでしょ。もっと愛想よくしないと」
「そういうのは俺の生き方じゃない」
とことんクールだ。まさに武士って感じがする。有彦とは大違いだ。
その3人で男子は全員らしい。黒い髪を肩ぐらいでそろえた少女が口を開く。
「私は衿間楓。一応副部長よ、これからよろしくね」
「あ、朝霧詠美ですっ。こ、これからどうぞよろしくですっ」
「琴宮美琴。歓迎する」
これで全員自己紹介したらしい。
「えっと、俺は今まで演劇をやったことがないから、みんなに迷惑かけるだろうけど、どうかよろしく」
俺も改めて言う。これでようやく一段落だ、と俺が思ったら衿間さんが悲しげに口を開く。
「・・・・本当はもう一人いるんだけどね」
彼女がそう言うと、場の雰囲気が若干暗くなったように感じた。
「もう一人いるって?サボりか?」
俺は、きっとそうじゃないんだろうなと思いつつ怜莉に尋ねる。
「・・・違うわ・・・この演劇部にはもう一人、櫻小路久遠っていう娘がいるの」
「・・・・久遠さんは、その、あの、お病気であまり学校に来れないんです」
「あ・・・えっとその、悪いこと聞いたかな」
俺はサボりとか言った手前少しばつが悪い。
「別にいいわ・・・・それよりこれで全員集まったのだし、明日のことを話し合いましょう」
暗くなった雰囲気を変えるようにと若干(本当に若干)明るく振舞う怜莉。だが、あまり場が明るくならないのは普段の行いが悪いからに違いない。
「そうだな」
と答えたのは大和。彼はそう言って部屋の隅に目を向ける。
「・・・・なぁ、優莉、そろそろこっちに来いよ」
そこには優莉が体育座りで床にへのへのもへじを書いていた。なんてありきたりなんだ・・・!と俺は内心びっくりしていたりする。
「・・・・・・どうせ私はお子様ですよ」
どうやらさっきのことで拗ねているようだ。このままでは埒が明かないと判断したのか、怜莉が優莉のところへ歩いていく。そして聞いたこともないような優しい口調で、
「優莉、ごめんね。さっきのことは本心じゃないの。ついむきになってしまってあんなことを言ってしまったの。だから、悪いのは由宇人よ」
俺に全責任をかぶせやがった。
「そ・・だね、悪いのは全部由宇くんだよね・・・。うん、じゃあ説明会のことだね!」
優莉もそんなことをほざく。しかももう立ち直ってる。演技だったんじゃないかと思うほどだ。あー、帰ってから何をされることやら、家出してしまいたい。
「それじゃ明日のことだけど」
と言って怜莉が話し出す。そこでふと俺は疑問に思った。
「なぁ、ちょっと聞いてもいいか?」
隣にいる清正に話しかける。知り合いを作るとき変に人見知りをしてはいけない。多少馴れ馴れしくするのがコツだ、ということを俺は経験的に理解していた。
「何?」
そう言って清正はニコニコと笑顔を浮かべる。ここまで笑顔が似合うやつも珍しいだろう。たぶん上級生の女子に人気だろうなと邪推。
「この演劇部の部長って誰なんだ?」
さっきから話の進行を仕切っているのは怜莉だ。だとすれば怜莉が部長なのだろうか。
「あれ、知らないの?」
清正は少し驚いた表情をする。そんなに驚くことを聞いたのだろうか?
「優莉さんだよ」
そして清正の口からとんでもない衝撃の事実が語られるのであった・・・!それはもう星織家の養子になるという話を超える驚天動地、今世紀最大と言っても過言ではない(さすがにそれは過言か。でもそのときは本気でそう思った)。俺はショックで後ろに数歩下がってしまった。
「ゆ、優莉が、部長・・・?」
もしかして、演劇部では部長の上に常務、専務、副社長、社長、副会長、会長がいるのだろうか。そんなわけないと思いつつ、でもこの学校ならありうるかもしれないな、と思ってしまう。そんな俺の様子を目敏く見つけた優莉が不満そうな顔をする。
「何よー、私が部長なのがそんなに変?」
変というかなんと言うか、そういう次元の問題ではない気がする。
「・・・・・・・・まぁ、お飾りだろうさ」
誰にも聞こえないように小さく呟く。こうやって自分を納得させて人間は生きていくんだな・・・・。ああ、この世は無情なり。

どうやら明日行われる1年生向けの部活動説明会の打ち合わせをしているらしいが、ついさっき入ったばかりの俺が話に参加できるわけもなく、俺はとりあえず部室をもう一度徘徊することにした。今度は一人ではない、大和と一緒だ。大和の打ち合わせは終わったらしく、俺に演劇部のことを教えてくれている。
「こういう道具ってのは全部手作りなのか?」
さっきから気になっていたことを尋ねる。否定すると思っていたが、意外にも大和は肯いた。
「ああ、小道具は全部朝霧が作っている」
朝霧ってのは、あの騒がしい子か。
「へぇ、・・・・・・すごいな」
「あいつ、おっちょこちょいのくせにすごい器用なんだ」
「・・・・だけど、これとかは大雑把だな」
俺が指差したのは劇用のテーブルだ。そのテーブルは切断面がそのまま見えていたり、ささくれも目立つ。いかにも素人が作りましたって感じだ。
「大道具に関しては、そういうのが得意なやつがいないんだ。朝霧も大道具はてんでダメらしい」
ふうん、大道具か。俺はこういうの結構好きかもな。子供のころは結構プラモデルとか作っていたし。そこでふと気になった。
「演劇部って言っても、全員が役者ってワケじゃないんだな」
「いや、一応みんな必ず一度は役者はやる。でも、そうだな、大抵は半分くらいが裏方かな。万年役者なのは、2年では怜莉と優莉、それと俺ぐらいだな」
「裏方ってのはどれくらい種類があるんだ?」
「小道具に大道具、脚本、演出、監督、照明、音楽・・・。細かいのを上げればもっとある。普通はいくつか兼任するけどな」
「全部自分たちで?」
「当たり前だろ」
・・・・予想が外れた。結構本気でやってるみたいだな。そんなところに俺なんかが入ってしまっていいのか・・・?
「水戸は何がやりたいんだ?やっぱり役者か?」
大和のそんな疑問に俺は即座に答える。
「それだけは絶対にやりたくないんだよな」
俺がそう言うと大和は少し驚いたようだ。
「演劇部に入るなら役者をやってみようとは思わないのか?」
「いや・・・・こういうこと言うのは気が引けるんだけど、俺はもともと純粋に入りたくて入ったわけじゃないんだ」
「そうなのか?」
「ああ、まぁいろいろあってな。でも興味がないわけじゃないんだ」
「そうか・・・楽しいぞ、演劇は」
「期待してる」
そんな風に俺たちが話していると、ようやく打ち合わせも終わったらしい。今日はこれで解散となった。

帰り道。俺は優莉と怜莉の3人で歩いていた。
「ええ〜!何でぇ〜!?」
声を上げたのは当然優莉だ。
「一緒に劇やろうよ〜!」
隣を歩いていた怜莉も非難めいた声を上げる。
「私はあなたを大道具係にするために、演劇部に入れたわけじゃないわ」
右から左から視線を浴びせられる。困ったなぁ、まさか大道具係をやると言ったのがここまで反発されるとは。
「いや、そもそも俺に劇なんて出来ないよ。生まれてこの方劇なんて一度もしたことがないんだぞ」
「それなら大丈夫だよ。私たちが手取り足取り教えてあげるから」
「いやいや、実を言うと俺ってあがり性でさ、人前だと緊張して動けなくなるんだ」
「ちょうどいいじゃない。演劇であがり性を克服すればいいわ」
「いやいやいや・・・」
その後、俺の決死の(本当に役者だけはやりたくなかったのだ)説得によって、なんとかその場は納得してくれた二人(絶対に本心では納得していないと思われるが)。晴れて俺は大道具係となることになった。

次の日。初めて授業が行われた。だが授業らしい授業は行われずに、テキトーに終わった。大丈夫なのか、この学校・・・・。とりあえず昼食の時間となった。この学校には食堂やカフェテリアがたくさん(同じ敷地内にショッピングモールまである。もはや学園都市といってもいいぐらいだ)あるので生徒の半分ぐらいはそれを活用するらしい。俺は水無月特製のお弁当を持参していたので、教室でそれを食べることにしたのだが。
「来なさい」
怜莉と優莉に連れてこられて(命令されてとも言う)、今俺は演劇部室で昼食をとっている。部室には俺たちだけではなく、2年の演劇部員全員が集合していた。
ちょうど良かったので、俺は大道具係を希望することをみんなに報告した。
「へぇー、水戸君は大道具係をやりたいんだ」
と清正。反応は様々だが、反対意見はないので一安心(普通はない)。
飯を食べ終わった俺に突然優莉からとんでもないことを言われた。
「由宇くん、音楽お願いね」
「・・・・は?」
「だから、今日の部活動説明会で由宇くんは音楽係ね」
「そんな話聞いてないぞ」
「だって言ってないもん」
「・・・・・・・」
「本当は美琴ちゃんの担当だったんだけど、由宇くんが入ってくれたからね、美琴ちゃんも劇に入れることにしたんだ。役者が増えればその分、劇に幅が増すからね」
そうか、それはいいことかもしれないが、もうちょっと早く言ってほしかったな・・・。後1時間しかないじゃないか。
「まぁ、いいや。で、俺は具体的になにをすればいいんだ?」
「放送室で音楽を流してほしいんだよ。手順とかはこれ見れば全部書いてあるから」
と言って優莉は俺に一枚の紙を渡す。その紙にはどのタイミングでどの音楽を流せばいいかが書かれていた。 「でも基本はアドリブでいいよ」
「・・・・いや、それは良くないだろ」
「別にコンクールとかじゃないからね、面白ければそれでいいんだ。場面と音楽が合ってなくても、それはそれで面白いでしょ?」
そーかな・・・?
「なら気楽にやらせてもらうよ」
「うん!お願いね、由宇くん」
とまぁそんなこんなで部活動説明会の時間になった。演劇部は合唱部の次である、というか今合唱部だ。なので俺は体育館の放送室にいる。合唱部は放送室を使用してないので、今のうちに機材の確認をしてるというわけである。
優莉はあんなことを言っていたが、やはりやるからにはちゃんとやりたい。そう思いながら俺が入念にチェックしていると放送室の扉が開いた。
「由宇人、大丈夫?」
と顔を出したのは怜莉だ。
「何だよ、怜莉、もう時間だろ?」
「あなたの様子を見に来たのよ」
中に入ってくる怜莉。
「あなたって変に真面目だから。気負いすぎてないか心配だったの」
「・・・・・大丈夫だよ。適当でいいって優莉も言ってたしな」
いつも俺に命令してばっかりの怜莉が素直に俺を心配してくれたことに胸がジーンとなる。何だよ、こいつにも可愛いところがあるじゃないか。
「失敗したら後でお仕置きだからね」
5秒で前言撤回。こいつは俺を心配してきたのか、それとも俺にプレッシャーを与えに来たのか、どっちだ。
「もう行けよ。着替える時間あと少ししかないぞ」
「分かってるわ。じゃあ頑張ってね」
そう言い残して放送室から去っていく怜莉。たかが部活動説明会の音楽係ごときであそこまで心配されるのも逆に凹むな。
「というか頑張るのはお前のほうだろうに」

結果的に演劇部は大成功だった。怜莉と優莉のドレス姿や、清正と剣瑛の殺陣(二人ともかなりすごかった)などストーリーなどを一切無視した劇と呼べるかどうかも分からないが、とにかく大盛況だった。これで部員も確保できるかな、と衿間さんも安心していた。
「やったね!すごい盛り上がったよね」
「ああ、そうだな。まさかあそこまでうけるとは思わなかった」
「私たちの衣装姿はどうだった?」
怜莉にそう聞かれて言葉に詰まる。実は二人がドレスで着飾って出てきたとき、不覚にもきれいだと思ってしまった。だがそんなことを正直に言う俺ではない。
「音楽を流すのに必死でよく見てなかったんだ」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
二人から睨まれてしまった。ああ、しまった、対処法を間違えてしまった。すっかり機嫌を損ねてしまった二人を家に帰るまでに宥めるのは至難の業だったが、俺の必死の頑張りによってどうにか睨むのは止めてくれた。
「ただいま」
いつものように広すぎる庭を抜け、玄関から家に入る。
「ただいま〜」
「ただいま」
後から優莉と怜莉が続く。すると横にある扉が開いて、弥生さんが顔を出した。
「お帰りなさいませ。由宇人様、優莉様、怜莉様」
「ねぇ、弥生さん。この二人はともかくとして、俺に様をつけるのは止めてよ」
「いえいえ、私にとっては由宇人様も敬うべきご主人様ですから」
同じ問答をこの1ヶ月で何度繰り返しただろうか。本当に俺を敬ってくれているのなら、せめてこのぐらいは言うことを聞いてもらいたいものである。だが、弥生さんと接しているうちに俺はこの人の性格をある程度把握していたので、半ば諦めていたが。
「無駄よ、由宇人。弥生は人を困らせるのが趣味なんですもの」
怜莉はそう言って、ふぅとため息を吐く。弥生さんから受けた嫌がらせの数々を思い出しているんだろうな。
「あらあら、何を言いますやら、怜莉様。決してそのようなことは」
と言いながら、ふふふと笑う弥生さん。この人にかかればこの怜莉さえもお手玉と言うわけだ。この家で一番恐ろしいのは間違いなくこの人である。
「そんなことはありませんよね?優莉様」
「そうだよ〜、怜莉ちゃん、弥生ちゃんに失礼だよ」
この性悪メイドもどうやら優莉は対象としていないらしい。優莉にどんな嫌がらせをしても、優莉の天然バリヤーで無効化されると分かっているからだろう。だからというわけかどうかは分からないがこの二人はとっても仲がいい。
「あ、そうでした」
弥生さんは手をぽんと合わせる。
「今日は幸崎も正造様も出かけて、帰るのは来週になるそうです」
「そう」
怜莉は軽く頷く。二人は仕事で家にいるほうが少ないので、こんなことは日常茶飯事なのだろう。
「そういえば弥生ちゃん、頼んでいたアレは出来た?」
「ええ、もちろんです。私の部屋にありますので、取りに来てくださいな」
「うわ〜い、さすが弥生ちゃん!」
そう言いながら優莉と弥生さんは一緒に歩いていく。残された俺たちは無言で見つめ合ってから2階への階段を上り始めた。
「・・・・またあの二人なんか企んでるんだろうな」
「・・・・割を食うのはいつも私たちよね」
同時にため息を吐いて、俺たちは各々自分の部屋へと向かった。

「はぁ、疲れた〜」
俺は制服のままベッドに倒れこむ。
なんかこの頃気が休まることがないな。何でだろうと考えるが、考えるまでもなくあの二人のせいだな。
だけど、こんな暮らしも悪くないかな・・・。今までと比べたら生きてるって感じがする。
でも、
母さんと朱里は死んだのに、俺だけ生きている。
それはおかしいんじゃないのか・・・?
別に特別仲が良かったわけじゃない。朱里とはしょっちゅう喧嘩していた。だけどいなくなったときにはとても悲しかった。
だけど、
そう、もしかしたら。
俺は二人が死んだことが悲しかったんじゃなくて。
別の理由があるのかもしれない・・・。
そんなことを考えていたから、部屋のドアが開いたことにも気付かなかった。
「由宇〜くん!」
突然目の前に優莉が現れる。
「うわっ・・・優莉か・・・。って何だその格好っ!?」
驚く俺の目の前に
バニーガールがいた。
「どう?可愛いでしょ」
俺は何も言えない。言えるわけがない。頭にウサギの耳をくっつけ、露出度の高い黒いレオタードを着て、網タイツをはいている女の子にのしかかられて、何を言えるというのだろう、言えるわけがない(動揺につき反語)!
「由宇くん・・・?あっ、分かった。私の可愛さのあまりに何も言えないんでしょ〜?」
「・・・・・とりあえず、どいてくれ」
「ん〜〜!由宇くん反応悪い〜!」
「今までので馴れたんだよ」
優莉は時々こんな突拍子のないことを(非常に迷惑なことに)する。
最初は弥生さんの給仕服を着てくそ不味い料理を披露(優莉はその時まで一回も料理をしたことがなかったらしい。俺が全部食べる羽目になった。3日間腹を下した)、その次は弥生さんが作った(余計なことを)看護服を着て俺の腹を切開しようとしやがった。先週には美容師の真似事をして(道具は全部あの性悪メイドが用意したらしい。余計なことを)怜悧は髪を切られそうになり、俺は切られた。
「ねぇ、由宇くん」
「・・・・何だよ」
そんなことがこの1ヶ月間に何度もあったので、もう何があっても驚くまいと俺は今誓う。
「欲情した?」
「ぶっ!」
思わず俺は噴出してしまった。
「うわ〜、由宇くん汚〜い」
「あ、ああ、悪い・・・お前がへんなこと聞くからだろ」
「ふふふ、でも聞くまでもなかったね。由宇くん、顔真っ赤」
俺は火照った顔を隠すようにベッドから立ち上がった。
「あれ〜、由宇くんどこ行くの?」
「リビング。これ以上お前といると何されるか分からないからな」
「へぇ〜?何されると思っちゃったのかな〜?由宇くんのエッチ〜」
俺は騒ぐ優莉を無視してさっさと部屋を出る。俺に安らげる場所はないのか・・・?

「はぁぁぁぁ〜、いい湯だな〜」
誰にでもなくつぶやく。5人で食事を取った後、俺は最上階にある風呂場へと足を運んだ。
そこはまさに大浴場と言って差し支えのない広さで、一人で入ると銭湯を貸切したみたいでなんだか気分がいい。しかしそもそもこの屋敷には7人しか住んでいないため、このような大きな風呂場を作る必要があったかどうかは疑問だった。のでそのことを正造さんに聞いてみたら
「金を使うのは金を持っている人間の義務だよ。このようなことを自分で言うのは誤解を招くかもしれないが、私は大金を持っている。ならばそれを惜しまず使うのが、社会の景気をよくするんだ」
「・・・・なるほど」
確かにけちな金持ちほど嫌なものはないな。それに正造さんは毎年、多額の寄付金(何億といったレベル)を全国の孤児院に送っている。それを聞いたときにはさすがに器が違うなと思ったものだ。
「このために生きているといっても過言じゃないな〜」
俺は一息吐く。幸せってこういうのを言うんだろうな〜。実は俺は結構風呂好きだったりする。だがこの屋敷の女性陣はみんな部屋に備え付の浴室を使っているらしく、正造さんと真さんもあまりここは使わない。
「まぁ〜だから気兼ねなく入れるんだけどな〜」
つい語尾が伸びてしまう。優莉が語尾を伸ばす理由はもしかしてこれかもな〜。これってなんだろうな〜。思考もゆるくなってくる。
そんな時、脱衣所の方から音が聞こえてきた。なんだろう〜と思って顔をそちらに向けると、
「由宇人様、お背中流して差し上げます」
性悪メイドの声が!!?見ると脱衣所と風呂場とをさえぎるすりガラス戸に女性のシルエットが浮かび上がってるではないか!
「ちょっ!ちょっと待って!落ち着いて、冷静になってください!」
瞬時にパニックになる俺。ああ、くそまたやられたな、と頭の片隅で思いながらもこの緊急事態をどうすればいいか考える。とりあえず入らせないようにしなければ!俺は神速の動きで(多分そのときの俺は世界を狙えたはずだ)ガラス戸を施錠する。これで安心だ、と俺が思っていると。
「ふふふ、由宇人様、無駄なことをしますね」
その声と同時にガチャと鍵が開いた!?
「お風呂場の鍵というのはこちらからも開けられるものなんですよ」
なんだ、それ!鍵の意味ねぇー!こうなった以上俺は扉の死守を諦めて、浴槽へとダイブする。その時の俺は本当にパニックしていた。だから俺はこんなバカなことをしたんだろう。
「由宇人様、観念してくださいな」
そう言いながら弥生さんの足音が聞こえてくる。俺はそれをお湯の中で聞いていた(10秒経過)。
「あらあら、由宇人様ったら可愛いんですから」
弥生さんが浴槽の中に入ってくる。くそう、今回はやけにしつこいな。いつもだったらもう止めてるころなのに(20秒経過)。
「見〜つけた」 弥生さんのやけにはしゃいだ声が水を伝わって聞こえてくる。人をいじめるのがそんなに楽しいのか、なんて性格が悪いんだ(30秒経過)。
「あんまり抵抗しないほうがいいですよ」
弥生さんの手が俺の体に触れる。おわあっ、それはやりすぎだ!くすぐったい(40秒経過)。
「強情ですね、由宇人様。窒息してしまいますよ」
弥生さんは俺を引っ張り上げようと力をこめる。させまいと俺は浴槽の壁に手を突いて踏ん張る。ここが最終防衛ラインだ・・・(1分経過)!
「ゆ、由宇人様。ちょっと洒落になりませんよ」
珍しく弥生さんの狼狽した声が聞こえてくる。やった、俺もやればできるじゃない・・・か・・・・(2分経過。限界でした)。
「由宇人様!?ど、どうしましょう!?」
その後、弥生さんに聞いた話によると俺は水面に水死体のようにプカーと浮いてきたらしい。ちなみに弥生さんは優莉が着ていたバニーガールの衣装(耳なし)を着用していたらしい。
この事件は俺の人生における最大の汚点として、俺の記憶に残ることとなった(残さないで消したい)。

「う、う〜ん」
気がつけば俺はベッドで寝ていた。ぼんやりした頭を左右に振りながら辺りを見回すと、そこは俺の部屋だった。
「あれ、俺はどうしてこんなところにいるんだ?」
言うと同時に風呂場で起こったことが鮮明に脳裏に浮かんできて、俺は打ちひしがれる。
「ああ・・・・、そうだった・・・。最悪だ」
風呂場で気を失ったはずの俺が自分の部屋で寝ているということは、つまり、誰かが全裸の俺をここまで運んできたということで・・・。
「・・・・・・・なるほど、穴があったら入りたいとはこのことか・・・」
問題はいったい誰がということだ。普通なら諸悪の根源である弥生さんが運んできてくれたと考えるべきだが。
「一人じゃ無理だよな・・・・」
いくら弥生さんの性格が超悪いとしても、体は一応女性だ(もしかしたら悪魔かもしれないが)。一人で男の俺を運べるとは到底思えない。ということは最低で二人・・・・。
「下手したら全員に見られた可能性も・・・・・」
幸崎さんか正造さんがいればなぁ・・・・・・。なんかもう恥ずかしいやら悲しいやらで今日はもうこのまま不貞寝だ!そんなことを俺が考えていたら、突然部屋の扉が開いた。ビクッとしてそちらを見るとそこには洗面器を抱えた水無月がいた。
「あ、由宇人様!起きられたんですか」
「み、水無月・・・・」
珍しく水無月が声を荒げてこちらに駆け寄ってくる。
「気分はどうですか!?どこか痛いところはありますか?」
「だ、大丈夫」
俺は水無月の剣幕に押されて首をこくこくと縦に振る。すると水無月は心底安堵したように息を吐く。
「よかったぁ・・・」
そんな水無月の様子が、いつもと全然違っていたので俺は鼓動が増すのを感じた。
「弥生から由宇人様が倒れたと聞いたときには本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。駆けつけたときには、由宇人様はすでに呼吸をしていませんでしたし・・・・」
死ぬ一歩手前だったのか、俺は。改めて背筋が寒くなる。しかし、もしそれで死んでいたら最高にかっこ悪い死に方だな。
「人工呼吸をしたのですけれど、それでも目を覚まさないので・・・・」
・・・・・・ん?今水無月がとんでもないことを言わなかったか?
人・工・呼・吸?
「え、えええええぇぇぇ!?」
すると水無月は頬を染めて(水無月の赤面などめったに見られるものじゃなかったのに、そのときの俺はパニックに陥っていたので不覚にもそのことに気付かなかった)視線をそらした。
「あの、その非常事態でしたし・・・。私しか人工呼吸のスキルを持っていませんでしたので・・・・」
「と、ということは、水無月は俺の裸も・・・・・」
「そ、それは私が浴場に行ったら、由宇人様が裸で倒れていたので、その、あの・・・仕方なく・・・」
俺と水無月の間に非常に気まずい沈黙が流れる。
「そ、それじゃ私はそろそろお暇しますね」
水無月はそう言ってお辞儀をする。
「あ、ああ、お休み、水無月」
俺は何とかそれだけ返す。すると水無月は
「・・・・はい、お休みなさい、由宇人様」
そう言ってにっこりと微笑んだのだった。