『追憶へ向かい、鏡像』
俺が吸血鬼に成ってから2日が経った。人間ではなくなった俺を正造さんも真さんも弥生さんも水無月も以前と変わりなく接してくれている。
それはとても有難い、有難いのだが。
本心ではどうなんだろう?
もともとまだ1ヶ月程度の付き合いだ。同じ家で暮らしている分普通よりかは親しくなりやすいのだろうが、それでも10年来の親友と言うわけではないし、ましてや本当の家族でもない。
「俺って性格悪いな・・・・」
暗闇の中ベッドの上に寝転がりながらぼそっと呟く。夕飯も食べ終わり風呂にも入って、血も飲んだ。後は寝るだけなのだが、なかなか寝付けない。エルリアの言うとおり、血を飲んで1時間ぐらい経つと髪の毛がたくさん抜け落ちてきたのはちょっとした恐怖だった。恐る恐る触るとちゃんと元通りに生えていたが。
「こんな生活を1ヶ月か・・・・」
怜莉はともかくとして、優莉は勝手に部屋に這入ってくるのでちょっとしたことで俺が吸血鬼だとばれてしまうかもしれない。まぁあっちは吸血鬼の存在なんか知らないから、すぐにはばれないかもしれないけど、怪しまれるのは確かだ。
「だけど完全に吸血鬼に成ってしまえば・・・」
発作もなくなるし、こんなに毎日血を飲む必要もなくなる。なくなるのだが・・・・。
「それから先はどうなるんだろう・・・?」
俺はもう既に人間ではない。完璧な吸血鬼でもないが、ヒトでは絶対にない。そんな俺は将来どうなっていくのだろうか。考えたって仕方がないし、無駄なだけなのだが考えずにはいられない。
後悔はしていない、していないはずだ。
本当に?
お前はただ一時の感情に身を任せているだけなのではないか?
遠くない未来に後悔しないなんて誰が言える?
「・・・・・下らない・・・寝よ」
夜は更けていく。人間だろうと吸血鬼だろうと関係なく。
金曜日の放課後。この日は部活動の入部締切日だ。ということで今演劇部室には入部希望の1年生はざっと20人ぐらいいる。その1年生相手に衿間さんが演劇部の活動の説明をしているのだが。
「ふぁ〜あ・・・由宇くんあれいつ終わるの?」
優莉は何故か俺の隣で欠伸などしてやがる。俺は説明会には加わらずに部室の隣の部屋(金庫がある部屋だ)で相も変わらず設計図を書いているわけだが。で、何故演劇部部長たる優莉がこの部屋にいるのだろうか。
「・・・・・お前、部長だよな?」
「そうだよ〜」
「じゃなんでこんなところにいるんだ?」
「そういう由宇くんこそなんでこっちにいるのよ〜」
「俺はいいんだよ。入ったばっかだし、今更説明なんて必要ないしな。ちゃんと衿間さんにも許可を取ったんだぞ?」
「う〜、理屈っぽい男の子は嫌われるんだよ。そういう時は素直に、お前と二人きりになりたいからさ、って言えばいいのに」
「まるで俺の本心がお前と一緒にいたいみたいに言うな」
「・・・いたくないの?」
優莉は悲しげな表情を浮かべる。俺以外の誰かがこの顔を見れば罪悪感を抱くかもしれないが、この俺は違う。
「お前等のそういう演技はもう通用しないからな。何度騙されたか、両手の指でも足りないくらいだ」
「・・・・・・」
俺がそう言うと優莉は顔を俯かせてしまった。あれ、おかしいな、いつもならここで何らかの反論があるのだが。
「優莉・・・?」
不審に思った俺が優莉の顔を覗き込むと。
「・・・う・・うぅ・・」
な、泣いている!?優莉は顔を俯かせながらその大きな瞳から大粒の涙を流しているではありませんか(動揺)!優莉の制服にぽたぽたと滴が落ちていく。
「ご、ごめん!何だかよく分からないけど俺が悪かった!謝る、謝るから泣き止んでくれ!」
「うう・・・じゃあ・・私と一緒にいたいって言って・・・」
「いたい!俺は優莉と一緒にいたいです!」
女の子を泣かせるなんて初めてのことで、俺は軽いパニック状態に陥っていたのだろう。滅茶苦茶必死だった。この後俺はこの時の自分の言動を思い返して柱に数回頭突きをした。
優莉は俺の言葉を聞くと顔を上げにっこりと笑って。
「ホント?」
「え・・・・・」
「ふふふ、しょうがないな〜、そこまで言うなら私が由宇くんと一緒にいてあげるよ〜」
「・・・・・・」
今のが演技かよ・・・・・。俺は怒ったり呆れたりする前に俺はただ感心していた・・・・・・・ってんなわけねーだろ!
「お前なぁ!」
「うっふふ、由宇くんたら本気で騙されちゃって。かーわいい」
こんなわけでなし崩し的に優莉がこっちにいることを承認してしまったので、俺はもうひたすらに作業に没頭することにした。
当の優莉は別段何をするわけでもなく、俺の隣でボーっとしていた。どうやらあっちの部屋では打ち合わせどおり短い劇をやっているようだ。怜莉や大和たちの声が聞こえてくる。
たまに1年生の感嘆の声や笑い声も聞こえてくるので中々にうけているようだ。
「なぁ、優莉」
「なぁに?」
「そういえば新3年生はどうしたんだ?まだ引退するに早いだろ」
「えっとね、来週になれば顔を出してくるよ。この時期は新2年生に仕事を覚えさせるための、ええと言わば通行儀式なんだよ」
「なるほどな。あと、きっと通行儀式じゃなくて通過儀礼だと思うぞ」
まぁ大体のニュアンスは伝わるが。
「何人ぐらいいるんだ」
「う〜んと、男の子が4人で、女の子が8人かな」
「じゃあ全員合わせると結構な大所帯だな」
「そうだね〜」
そこで会話が途切れる。いつもはおしゃべりなくせに何だか今日は妙に静かだな、でも何故だろう、この沈黙が心地いい。
(毒されてきたのかな)
いい意味でも、悪い意味でも。以前の俺だったらきっと沈黙に耐え切れずにどうでもいいことを喋っていただろう。
(感謝するべき・・・なのかな)
無気力で自堕落な生活を送っていた俺を救い上げてくれたのは、認めたくはないが、優莉達の優しさだったのだから。
そんな皆の優しさに素直に甘えられていれば、俺は、人間を辞めることもなかったのだろうか?
(本当に、考えても仕方がないことだな)
今更どんなに悔やもうと、時間は決して戻らないのだから。
(それに今の俺は、自分の気持ちさえ分かっていない)
不安定だな、俺は。自分の足元さえ覚束ないくせに、人に迷惑かけることはしている。
「・・・すぅ」
俺がそんなことをうだうだ考えていると、ふと右の肩に衝撃があった。見ると優莉が俺の方にもたれかかりながら静かに寝息をたてていた。
「・・・・寝ちゃったのか」
春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。まったく・・・・本当に幸せそうに眠ってやがる。
あまりにもぐっすりと寝ているので起こすのも憚られる。あっちではみんなが頑張っているというのに。
「しょうがないな」
口の端が勝手に持ち上がるのが分かる。俺も設計図を書くのをやめ、椅子にもたれる。さっきまで心が重く沈んでいたのが嘘のように、俺は幸せな気持ちに満たされていた。
俺は左手で優莉の頭を撫でながら、
「・・・・ありがとう、優莉」
と小さく呟いた。
で、そのあと1年生の歓迎会をすることになったので部室でパーティが開かれた。俺と大和、清正、剣瑛、あとは1年生の男子で買出しに行き大量の食料と飲み物を買い込んできた。俺たちが部室に戻るといつの間にか馬鹿でかいテーブルが用意されていた。
「お疲れ様」
俺が買ってきたジュースのペットボトルをテーブルに置いていると、俺の知らない女子生徒が話しかけてきた。
その人は栗色の長い髪を後ろで二つに束ねている、とても落ち着いた雰囲気の女性で、微笑を浮かべながら俺を見ていた。と、一緒に作業をしていた清正がその女性に気付く。
「あれ、朝陽先輩じゃないですか」
「久しぶりだね、清正」
「どうしたんですか?3年生は自粛してるんじゃ?」
「うん、まぁそうなんだけど。歓迎会くらいならいいかなと思って」
「いても立ってもいられなくなったと」
「そういうこと」
と、そこでようやく清正は所在無さげにしていた俺に気付く。
「えっとね、水戸君。この人は」
「いいよ、清正。自己紹介ぐらい自分で出来るよ」
彼女は再び俺に向き合うと、
「朝比奈朝陽、17歳、3年、スリーサイズは上から」
「ええと、それはいいです」
変なことを言おうとした朝比奈先輩を制しながら、俺はこの人もどうやらまともじゃないみたいだなとか思っていた。
「俺の名前は」
「知ってるよ。水戸由宇人君だよね」
「ええ、そうです」
俺がうなずくと何故か朝比奈先輩は少しだけ驚いた表情をした。
「・・・・へぇ」
「・・・なんですか」
「いや、思ったよりも面白いね、君」
「はぁ」
何だろう、この会話。いつの間にか清正もいなくなってるし。変な人を俺に押し付けないでくれ。
「私もそろそろ皆の手伝いをしなければね。それじゃまた後で話そう、水戸君」
そう言って朝比奈先輩は唐突に現れ唐突に去っていった。
「・・・・・ふぅ」
俺は小さくため息をつくと作業を再開した。
部員全員にジュースが行き渡ると、優莉が(どこからかマイクを出して)部室棟を揺るがさないほどの勢いで、
「かんぱ〜〜い!」
「乾杯!」
皆も缶ジュースを掲げそれに答える。
そこからはハチャメチャのどんちゃん騒ぎとなった。
(すごい盛り上がりだな)
1年生も2年生も3年生(3年生は朝比奈先輩だけだが)も皆楽しそうに談笑している。
(皆まだ会ったばかりだろうに)
俺は開けた窓の淵に座りながら部室を眺めていた。ついさっきまで何人かの1年生と話をしたりしていたのだが、例外なく全員が俺のことを知っていた。
(どうやら俺が思っている以上に、星織家の養子というのは大きな出来事だったらしいな)
まぁ今となれば笑ってかわせるようになったが。
(・・・・優莉も怜莉も楽しそうだな)
二人は今1年生の男女に囲まれている。
この学校に来てから分かったのだが、優莉と怜莉、この二人はどうやら周りの人間(生徒、教師と関係なく)に一目置かれている存在らしい。
星織家はとんでもない、それこそ世界で10本の指に入るくらいの金持ちだ。まぁ確かに二人とも外見はかなりいいし、性格も(俺の前以外では)いい。人気があるのも分からなくはないのだが・・・。
(1週間で6人から告白されるとは思わなかったな・・・・・)
内訳は優莉が3人、怜莉が3人と引き分け。あとから聞いた話だが、二人はいままでこの学園(中学と大学も含めて)の男の約3%から告白されたことはあるらしい。3%と言うと大したことないように思えるが、その実何百人という単位だから最早呆れるしかない。
(よく考えるまでもなくすごい話だよな〜)
もしかしてあの二人と一緒に暮らしている俺ってとんでもない果報者なのか?・・・・次の新月っていつだっけかな。
まったく、こんなことになるなんてあの頃は想像もしなかったな。
(・・・・・あの頃か・・・・)
やめろ、俺。こんな時に、こんな笑い声で溢れている場所で考えるようなことじゃないだろ。
(・・・ん?)
あれ、今誰かの視線を感じたような・・・・。辺りを見回してみるとある女子生徒と目が合った。その女子生徒は俺と目が合ったことに気付くと、即座に目をそらした。
(確か・・・小鳥遊さんの妹だっけ)
名前は確かクリスティーナだったな。その名前と容姿から俺は二人の関係におおよその見当をつけていた。
(だけど、何で俺をあんなにも嫌うんだ?)
嫌われるようなことはしていないと思うし、そもそも話したことすら一回(あれは話したと言えるのだろうか?)しかないんだが。見れば彼女は他の女子生徒と楽しそうに話している。どうやら単なる人嫌いってわけではなさそうだ。
(まぁ絶対に合わない人間だっているよな)
俺はそう結論付けると、視線を部屋の中から外に移した。
(もう暗くなってるな・・・)
携帯で時間を見ると午後7時とあった。こんな時間まで学校にいたことなんてないな。というかこんな時間まで学校にいてもいいのか?
「何を黄昏ているのかな?」
「・・・別に黄昏ているわけじゃないですけど」
振り返ればいつの間にか朝比奈先輩が笑いながら立っていた。
「何ですか?朝比奈先輩」
「いやだなぁ、私のことは是非朝陽と呼んでほしいな」
「朝陽先輩、何か用ですか?」
「・・・・・ふっふふ」
朝陽先輩がいきなり笑い出す。俺はまったくこの人のテンションについていけないので、ただ呆然とするしかない。
「いやいや失礼。君のキャラクターが話に聞いていたのと大分違っていたもので。ああ、勘違いしないで、別に貶しているわけではないから」
「・・・・それはどうも」
褒められている気もしないけど。何というか、こっちに来てから俺の周りは個性が強い人(言葉を選びました)ばっかな気がするな。
「・・・・君の事は怜莉と優莉から聞いているよ」
またか・・・。一体あの二人は何人に言いふらしているのだろう?
「なんて言ってました?」
「聞きたい?それは聞きたいだろうね」
ああ、この思わせぶりな態度、デジャヴを感じるな。
「そう言って教えないつもりなんでしょう」
「ん、そんなことはないよ。私がそんな意地悪に見える?」
「あ、いや、すいません」
どうやらひねくれていたのは俺のほうだったようだ。朝陽先輩は俺の隣に移動すると、外を見ながら口を開いた。
「怜莉も優莉も、私たちの家に新しい家族が来たって、嬉しそうに言ってたよ。そのときの二人の顔といったら君に見せてあげたいぐらいだなぁ」
「それは・・・・想像できませんね」
「そう?そんなことはないと思うけどね・・・話に聞く君は最初、他人行儀で壁を作っていてまったく打ち解けてくれない奴だったみたいだね」
「・・・・確かに、そうでしたね」
あの家に来たばかりの俺は確かに朝陽先輩の言うとおりのような奴だったと思う。何せ周りは全員知らない人だ。俺自身あまり社交的なほうじゃないし。それに・・・・。
「優莉なんか毎日、今日も由宇くんしゃべってくれなかった〜とか言ってたよ」
「それは容易に想像がつきますね」
ぶっきらぼうに突き放す俺に対して、優莉も怜莉も見捨てることなく仲良くしてくれた。二人のおかげで俺は家族の死と折り合いがつけられたのかもしれない。
「そういえば、君は昔から二人と親交があるの?」
「いえ、今年の春からですけど」
「ふぅん・・・?」
何故かいぶかしげな表情をする朝陽先輩。なんだろ、俺変なこと言ったかな。
「あの二人がよく、昔一緒に遊んでいた男の子の話をしていてね。てっきり君のことだと思っていたんだけど」
「別人だと思いますよ。あまり昔のことは覚えてないですけど、あんな二人だったら忘れるわけありませんって」
「それもそうだね」
俺と朝陽先輩は下級生と話している怜莉と優莉に目を向けながら笑いあう。
「二人に話を聞いてから、私はずっと君に会ってみたいと思ってたんだよ」
朝陽先輩はそう言うとにっこりと俺に笑顔を向ける。
「会えてよかった。君とは仲良くなれそうだ」
「・・・それはどうも」
不思議な人だな、この人は。初対面なのに、そんなこと露とも感じさせない。初めて会った人にこんなに安心感を抱いたのは初めてかもしれない。
「あ〜っ!由宇くん何やってるのよ〜!」
と突然甲高い声が響いた、と同時に優莉が突っ込んできた。
「優莉、あまり大きな声を出すなよ。1年生達が驚いてるぞ」
「そんなことどうでもいいでしょ!それより何で由宇くんが会ったばかりの朝陽先輩と仲良くおしゃべりなんかしてるのよ〜!」
「私が由宇人と話すことがそんなにいけないの?」
「よ、呼び捨て・・・・?!」
「ちょっと朝陽先輩、火に油を注ぐような真似はしないでくださいよ」
俺は小声で朝陽先輩に言ってみるが、朝陽先輩は優莉を見ながらニヤニヤしている。ま、まさかこの人はあの優莉を手玉に取るというのか・・・・!?
「由宇人は別に優莉の所有物と言うわけではないだろう?」
「朝陽先輩の物でもないです!」
「つーか俺は俺のものです」
当たり前だがそんな俺の意見はきっぱり無視されて、優莉と朝陽先輩の口論?は続く。
「朝陽先輩は由宇くんに馴れ馴れしすぎです。由宇くんだって嫌がってます」
「そんなことないよ。由宇人だってこんな美人とお近づきになれて嬉しいってさ」
「由宇くんはそんなことぜぇっ〜たい言いません!第一由宇くんは人見知りなんだから!」
「でも私にはすぐに心を開いてくれたみたいけど?」
「そんなの嘘です。私にだって最初はぜんぜん心を開いてくれなかったんだから。きっと心の中では馬鹿にしてますよ」
おい、優莉。お前さっきから結構俺に対して酷いこと言っているのに気付いているのか?
つーか優莉と朝陽先輩、部員のほとんどがこっちに注目しているのに気付いているのか?
というより怜莉、サンドイッチなんか食べてないで助けてくれよ!
「私は由宇人のことが気に入ったんだ。恋人にしてもいいと思ってるぐらいだよ」
「!!!」
「なっ」
何を言い出すか、この人は!
「どう、由宇人。私は結構本気だよ」
「あ、あ、あ、朝陽先輩!」
優莉は顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。なんというか、こいつのこういう反応ってなんか新鮮だな。いつもは俺がこいつにこうさせられている訳だが。
「朝陽先輩、さっきの本気ですか」
こ、この絶対零度の声は、怜莉の本気怒りモード!ふと見るとさっきまで我関せずといった態度だった怜莉が優莉の隣で朝陽先輩と対峙している。一体いつの間に。
「私は嘘はつかないよ。二人とも知ってるだろう?」
だから何でそんな挑発みたいなことするかな、もういい加減に終わりにしてくださいよ・・・・。はぁ・・・・家に帰りたいな。
そんな俺の願いが聞き届けられたのは、それから2時間後のことだった。
その日から新部員を加えた俺たちはゴールデンウィークに控えた演劇会に向けて猛練習が始まり、俺は大道具の作成に取り掛かる・・・・・かのように見えた。
だが、休み明けの月曜日。初めて演劇部に出てきた3年生達の紹介もつつがなく終わり、さてそれでは皆の役割を決めようと演劇部全員で会議をしていたときのことだった。
今回の劇は主に2年生と1年生を中心とするのが伝統らしく、3年生は全員裏方へと回った。1年生もほとんどは裏方となって、それでは役を決めようかというとき、部長たる優莉から思いもよらない爆弾発言が飛び出した。
「え〜と、今回の劇の主役をやってもらうのは水戸由宇人くんで〜す」
「はぁっ!?」
思わず立ち上がり声を出してしまった。周りの部員が一斉に俺を見るが、優莉はそんな俺を見事に無視して次々に役名を述べ上げる。
「ヒロインは怜莉ちゃんと私がやります。あとは大和君、清正君、剣瑛君、美琴ちゃんです。え〜と1年生のクリスちゃんと月姫ちゃんも役をやってもらうのでお願いします」
「ちょ、ちょっと待てって」
俺は歩いて優莉の前まで行く。頭の中はパニック状態だった。
「なぁに?由宇くん。何か問題でも?」
優莉は澄ました顔で言いやがる。
「俺が主役ってどういうことだよ。そんなこと俺は聞いてないぞ」
「だって言ってないもん」
にゃろう・・・、同じネタを二度使いやがって。と、そこで俺はものすごく注目されていることに気付いた。
(くそっ)
俺は心の中で舌打ちをして、元の場所に戻った。
「これが今回の台本です。大和君、清正君、配ってくれるかな」
皆に台本が配られる。厚さが1センチぐらいの本で、表紙に『追憶の物語』と書いてあった。
俺はペラペラと台本を捲ってみる。どうやら舞台は中世のヨーロッパみたいだ。城とか騎士とかそういう単語が散見される。
(俺が主役ってどういうことだよ・・・・)
俺は役者はやらないって言ったはずだけどな。そりゃ、あの二人が納得したとは思っていなかったけどさ、まさかいきなり主役をやれなんて無茶苦茶もいいとこだ。
「それじゃ、さっそく作業に入ります。1年生はそれぞれ担当の先輩のとこに集まってくださ〜い」
優莉の言葉で皆が移動を始める(余談だが俺はこの時初めて優莉が部長らしくしているところを見た)。役者は優莉のところに集まることになっている。だが俺は優莉のところに向かうのでなく、窓際に立っている怜莉のところに歩いていった。
「おい、怜莉」
今まさに優莉のところに行こうとしていた怜莉を呼び止める。
「どういうことなんだよ、いきなり、俺が主役って。俺は大道具係だろ」
若干棘がある口調になったのが自分でも分かった。けれど怜莉はまったく平然としながら、
「兼任してもらうわ」
と言いやがった。
「俺は演劇初心者なんだぞ、そんな俺を主役に?馬鹿げてる」
「この演劇部ではみんな必ず一度は役者をやってもらうわ。それはあなただって例外じゃない」
「だからって主役じゃなくてもいいじゃないか」
「しつこいわね。もう決まったことよ。それにこのことは2年生みんな知ってるわ」
「なんだよ、それ・・・それで何で俺に言わないんだ?」
「だって、言ったら絶対に断るでしょう?」
「当たり前だ」
「ねぇ、由宇人」
怜莉はまっすぐに俺を見据える。その鋭い視線に思わず目を逸らしてしまう俺。やばい、誰かを説得するときに目を逸らしてしまうなんて負けを認めるようなものじゃないか。
「確かにあなたに黙って、勝手に決めたことは謝るわ。でも今回だけは分かってほしいの」
「・・・・また、それか。お前らはいつもそうやって俺の都合なんてお構いなしに・・・」
「・・・・・」
怜莉はどこか辛そうに口を結んでいる。俺はそのまま言葉を連ねようとして・・・・ため息をついた。
「・・・・まぁ、いいや。お前らのそういう我侭にももう慣れたからな。今更文句言っても仕方ない」
「・・・有り難う、由宇人」
「いや、俺もちょっと言い過ぎた、ごめん」
「いいのよ、悪いのは私なんだから」
「だからもういいって。お前に謝られると何だか落ち着かない」
「・・・ふふっ」
「ははっ」
「なぁ〜に二人して桃色空間つくっちゃってるかな〜?」
見るといつの間にか優莉が不気味に笑いながらそばに立っていた。目が笑ってないから余計に怖い。
「私のところに集まってって言ったよね〜?」
「・・・悪いわね、今行くわ」
「ほら、由宇くんも早くしてよ。みんな待ってるんだから」
「はいはい」
「で、俺はどうすればいいんだ?」
根本的な問題を優莉に投げかける。いきなり役者をやれなどと言われても、何をしたらいいのかさっぱり分からない。
「うん、由宇くんはまだ演技がどういうことか分かってないからね。まず、基礎からかな」
「基礎?」
「うん、演劇ってね、何よりも声が大事なんだ。だから由宇くんにはまず声を出す訓練をしてもらうね」
「つまり」
怜莉が割り込む。心なしか楽しそうだ。
「校庭10週」
「はい?」
「第3校庭を10週してきなさい」
この学校は驚くことに校庭と呼べるものが全部で4つある。それも高等部だけであり、小等部、中等部、大学を含めれば11もあるのだから驚く以前に呆れてしまう。第3校庭は高等部専用の校庭で、4つのなかで一番でかいわけだが。
「10週って、8キロあるんだけど」
「知ってるわ」
「それを走って来いと・・・?」
「そうだよ」
「・・・・俺に死ねと言うのか?」
生まれてこの方、運動なんてものに従事してこなかった俺に地球の円周の5千分の一を走れと?・・・・なんだか凄いのか凄くないのかよく分からない喩えだな。
「演劇ってかなり体力使うんだよ、主役だったら尚更ね」
「何だかものすごく納得いかないんだが」
「いいから、さっさと行ってきなさい」
「分かったよ・・・」
俺は渋々、体操服を取りに自分の教室へと向かった。
「は、走って・・・きた・・・ぞぉ」
「はい、お疲れ様」
優莉はそう言ってスポーツドリンクを渡してくれる。俺は力なくそれを受け取ると、近くにあった椅子に座り込む。
「ぜっ、ぜっ、ぜぇ・・・・・ん、う、ん・・・・・はぁ〜」
スポーツドリンクを一気に半分近く飲む。やっぱり死ぬ寸前のポカ○スエットは格別だな〜。
「どう?由宇くん。これで大分声が出やすくなったと思うんだけど」
「はぁ、はぁ・・・・・疲れすぎて声なんか出ね〜」
「ほらほら、休んでばかりいないで発声練習発声練習」
「・・・・・演劇部って、実は文化系じゃなくて体育会系だろう・・・・」
仕方なく俺は優莉の言うとおりに姿勢を正して立つ。
「じゃあ私の後に続いてね」
そう言うと優莉はその小さな口を開いて「あ〜あ〜あ〜」と綺麗なソプラノの声を響かせた。
「・・・何だか恥ずかしいな、これ」
「何言ってるの、由宇くん。こんなので恥ずかしがってたら舞台に立つなんてできないよ」
「俺は立ちたくないんだよ・・・」
「由宇くんは腹式呼吸は出来るんだから、こんなの簡単だって」
「ん?何でお前、俺は腹式呼吸が出来るなんて思うんだ?」
「だって由宇くんいつも自分の部屋で歌ってるじゃない」
「な!?」
脳天をハンマーで殴られたような衝撃が俺を襲う。
「知らないとでも思ったの〜?隣の部屋で耳を澄ませば聞こえるんだよ〜。もちろん私だけじゃなくて、怜莉ちゃんも水無月ちゃんも知ってるよ」
「な、な、な」
さらに追い討ち!?途端に眩暈がして俺は立っていられなくなった。さっきまで自分が座っていた椅子に崩れ落ちる。まさか俺の他人に知られたくない秘密ベスト2が既に白日の下に晒されていたとは・・・・(ちなみにベスト1は俺が吸血鬼だってことだ。まぁ、言われるまでもないだろうけど)。嘘だといってよ、優莉ぃ。
「私、結構好きだよ、由宇くんの歌」
「そんなフォローはいらないから、嘘だと言ってほしかった・・・」
「でも腹式呼吸が出来るからって、発声練習をしなくていいというわけじゃないんだよ。だからほら、練習練習」
「うう、帰りたい・・・・」
「やっと終わった・・・・」
なんか精根尽き果てたって感じだ。あれから発声練習、早口言葉(滑舌を良くする為らしい。ちゃんと言えるまで何度もする羽目になった)、台本を10回全部読み上げる、それから怜莉の容赦のかけらもない演技指導。俺の精神力と体力をゼロにするには充分だった。
「じゃあみんな〜、今日はこれで終わりだよ〜」
優莉が皆に呼びかける。ううむ、こうして見ると確かに優莉は部長に見えるから不思議だ。
「当番の人は後片付けお願いね」
我が演劇部では当番制で掃除の順番が決まっているわけだが・・・・。
「・・・今日俺だ・・・」
はぁ、この上なく疲れてるのにな・・・、勘弁してほしい。
「あれ、今日由宇くんが当番?」
「不幸なことにな」
「待ってようか?」
「いいよ、別に。先に帰っててくれ」
「なによぉ、せっかく人が親切にしてあげたのに。いいもん、じゃあ帰っちゃうからね」
そう言って優莉は怜莉を連れて部室を出ていった。ほかの部員も支度を終え帰っていく。さてと、さっさと終わらせるか。掃除当番は二人の決まりだから、俺のほかにもう一人いるはずなのだが・・・。
「・・・・・・」
どうやら当番じゃない部員は全員帰ったようだ。となると・・・厄介なことになったな・・・。
「え、と・・・小鳥遊さんだよね」
廊下側の壁にもたれかかったまま、しかめっ面でそっぽを向いているのは、何を隠そう俺のことを嫌いまくってるらしい小鳥遊クリスティーナだった。
「・・・・・・」
俺の問いかけにもさっぱり反応しない小鳥遊妹。さて、こんなことをしていても無駄だな、と判断。仕方ない、俺だけでもさっさと片付けるか。
俺は掃除用具入れから箒を取り出すと床を掃き始めた。
「・・・・・・」
すると今まで黙ったまま身じろぎ一つしなかった小鳥遊妹が突然バケツを持ち、水を汲み始めた。小鳥遊妹は水がなみなみ入ったバケツにぼろ雑巾を突っ込んで絞っている。
どうやら掃除はしてくれるみたいだな。
「・・・・・・」
だけど何だ、この異様に重い空気は。何か胃がキリキリ痛むんだが。
小鳥遊妹が無言で雑巾がけをしている脇で俺が無言で床を掃いている今、この演劇部部室には変な力場が発生してるんじゃないだろうか?
そんな滅茶苦茶気まずい時間が続いたなか、床を拭き終わったらしい小鳥遊妹はさっさとバケツと雑巾を片付けて部室を出て行ってしまった。
「・・・何だかな」
俺は集めた塵やごみを塵取りでゴミ箱へ捨てる。
これでようやく家に帰れるとため息をついたときだった。
「ぐ、がっ」
体中に馴染みのある激痛が走る。
「あ、あ、あ」
まったく予想をしていなかったためいつもより痛みがひどく感じる。立っていられなくなった俺はその場にうずくまる。
(何で・・・こんな時に・・!)
心の中で悪態を吐くがそれで痛みが治まるわけではない。髪の毛が伸びてきたのが分かった。どうやら吸血鬼化してきたらしい。
(エルリアの忠告を聞いといてよかった・・・・)
俺は痛む身体を引きずりながらどうにか自分の鞄から血液パックを取り出す。用心のために一応毎日持ってきていたのだが、それが幸いだった。
「ぐうう、ん、うん、ん・・・」
やっとのとこで血を飲み干す。もう何度も飲んでいるが一向に慣れる気がしない。
「・・・・はぁ」
ようやく悶絶せんばかりの激痛も引いていき、俺は深く息をつく。今の俺は人間じゃなく完全な吸血鬼だ。
「誰もいなくて良かった・・・・・」
心底そう思う。部活中だったらと思うと血の気が引いていく思いだ。そうじゃなくても、もう少し掃除が長引いていれば小鳥遊妹に発作を見られていたかもしれない。
「あちゃ、血がこぼれてる・・・」
見ると俺のシャツや床に赤い血が点々と飛び散っていた。
「また掃除か・・・・」
と俺が呟いたときだった。ガラッと音を立てて部室の扉が開かれた。
「!」
目を見開いた俺の視線の先には呆然と立ち尽くす小鳥遊妹の姿があった。小鳥遊妹の目はしっかりと俺を捉えている。
「・・・え?」
さて、どうしようか。
「大原則として私たちは一般人に吸血鬼だということを知られてはいけない」
「もし知られたら?」
「そうなった場合はまず国に報告だな。吸血鬼の存在を言いふらさないように強く口止めされる」
「なんだか穏便じゃないな」
「仕方ないだろう。吸血鬼の存在を知られるわけにいかないし、そもそも吸血鬼がいるなんて言いふらしたとしても変人扱いされるだけだ」
「そりゃそうだな」
「お前も、もし誰かに正体を知られたら、正造か真のところに連れて来い」
そんな会話をエルリアとしていたのを思い出した俺は、今小鳥遊妹ともに正造さんの書斎のソファに座っている。
「・・・・・・」
小鳥遊妹は今は大人しく黙っているが、ここに連れてくるまではそりゃもう大変だった。
「・・・・あ、あんた・・・・何やってんの?」
「え、えーと」
「何でそんな髪が伸びてるわけ?何で血が飛び散ってるわけ?何で・・・・・・瞳が紅いの?」
「それは・・・」
「あんた・・・・・・何?」
とまぁ小鳥遊妹と初めてまともに会話した内容はこんなんだ・・・・。俺が事情を説明するからついてきてくれ、と言うと意外にも小鳥遊妹は素直に頷き、俺はこの時間なら屋敷にいるだろう真さんに連絡を取った。意外にも真さんは驚いたそぶりを見せずに「今から迎えに行くよ」と言った。
「・・・・・・・」
真さんの車に乗り込んだ俺と小鳥遊妹はそのまま星織の屋敷に来てこうしてるというわけだ(怜莉と優莉の二人に見つからないようにこっそりと)。今、真さんが正造さんに連絡を取るため書斎を出ていったので、俺と小鳥遊妹は二人して無言のまま肩を並べてソファに座っているわけなのだが。
「・・・・・・・」
うう、いい加減この無言にも堪えられなくなってきた。これならまだ質問づくしだったほうが良かったよ・・・・。
横目で小鳥遊妹を見る。小鳥遊妹は黙ったまままっすぐと前を向いていて、人形とも思うほど微動だにしない。
小鳥遊妹はこの状況について一体何を思っているのだろう。
(俺が無用心だったんだろうか・・・・)
と、言ってもあれは防ぎようがなかったんじゃないか。小鳥遊妹は鞄を忘れて取りに戻ってきたらしいが・・・はぁ、もう過ぎたことを考えても仕方ないか。願わくばこれが正造さんたちの迷惑にならなければいいんだけど。
(・・・・そんなの今更か)
俺が吸血鬼に成った時点で、正造さんたちにとっては大きな迷惑だったんだ。身寄りのない俺を養子にもらってくれて、あんなに良くしてくれた正造さんたちを、俺は・・・・裏切ったんだ。
・・・・・・最低だな、俺。こんな俺が、優莉や怜莉や水無月たちと幸せな時間を過ごすなんて許されるのか?・・・・やっぱり俺なんか、
「あんた」
突然の声が、自己嫌悪に陥ってた俺の思考を中断させる。いつの間にか俯いていたらしい顔を上げると、小鳥遊妹が俺を見つめていた。
「・・・・何だよ」
っていうかあんた呼ばわりかよ、俺一応お前より年上なんだが。
「・・・・・」
しかも呼びかけておいて黙るなよ。そのまま数十秒が経過。小鳥遊妹が再度口を開く。
「・・・・あんたって何かの病気なわけ?」
「あー、まぁ、そんなもんだな」
俺は曖昧に答える。まぁ、病気といえば病気だろ。
「嘘、吸血鬼なんでしょ」
「・・・・・!」
間髪いれずに返ってきた言葉に絶句。
「・・・知ってたのか?」
「・・・・昔、おじい様から聞いたことがある。その時は冗談だと思ったけど」
「そっか・・・」
そうだよな・・・小鳥遊家のご令嬢なんだから知っていても不思議じゃないか。と、俺が一人で納得していると、
「お待たせ〜。さっ、始めようか」
書斎の扉が開き、真さんが戻ってきた。
「真さん、彼女もう知ってるみたいです」
「え?」
「吸血鬼のこと」
「え?そうなの?」
真さんが小鳥遊妹を見つめる。
「・・・ええ、祖父から聞いたことがあります」
「・・・まったく、小鳥遊翁にも困ったものだ。いくら身内だからって未成年に吸血鬼のことをばらすとはね」
「あの、私がそのことを聞いたのは祖父が酔っていたときですから、祖父もつい口走ってしまったんだと思います」
「ああ、うん、小鳥遊翁なら有り得るな・・・・ん、でも君は小鳥遊翁からその話を聞いて信じたのかい?」
そういえばそうだな。普通に考えて吸血鬼の存在を話を聞いただけで信じるやつはいないだろう、酔っていたというなら尚更ただの冗談だと思うはずだ。
「いえ、確かにその時は私も信じてなどいなかったのですが・・・・」
そう言いながら俺を見る小鳥遊妹。
「彼のこの状態と、彼自身が吸血鬼だということを肯定したことで信じざるを得なくなりました」
って、俺のせいかよ!
「ああ、なるほどね・・・由宇人君ももう少し用心しなきゃ」
「反省してます・・・・」
項垂れる俺。
「まぁ、そういうことなら話は早いからいいか・・・さて、君も知ったように由宇人くんは吸血鬼だ」
「・・・・はい」
「この世界に吸血鬼が存在するという事実はほんの一握りの人しか知らない。もしこのことが一般人に知られれば無用な混乱を招くことは必須だ」
「つまり、このことを口外するなということですね」
「そう、その通りだ・・・守ってくれるね」
「はい、守ります」
「うん。じゃあこの話はこれで終わり。余計な時間をとらせたね、家まで送っていくよ」
「・・えっと、これで、終わりですか?」
小鳥遊妹が拍子抜けしたような顔をする。それは俺も同じだった。
「真さん、こんな口約束だけでいいんですか?」
「いいんだよ。どうせ吸血鬼が実在するなんてこと話したって、信じる人はほとんどいないしね」
「まぁ、それはそうかもしれませんが・・・」
俺としてはこの事態は俺のせいで起こったことなので、もし小鳥遊妹に何らかの負担があるようならなんとしてでも止めようと思っていたのだ。
「由宇人君も正体がばれたからと言ってそんなに深刻に考えなくてもいいよ。そりゃ、昔はもっと厳しかったみたいだけど、今はわざわざ報告する必要だってないんだから」
「そんなもんですか・・・」
「ま、そういうわけだから。クリスティーナさん、家まで送るよ」
真さんがそう言いながら手招きをするが、小鳥遊妹は首を横に振る。
「いえ、結構です。彼に送って行ってもらいますから」
「へ?」
突然小鳥遊妹がとんでもないことを言い出した。
俺が?送る?誰を?小鳥遊妹を?
「あ、そうだね。今の由宇人君ならボディーガードにはぴったりだ。じゃあ由宇人君、彼女送って行ってあげなよ。優莉ちゃんと怜莉ちゃんには僕から適当に言っておくからさ」
「え、いや、でも・・・」
あれ、おかしいな。小鳥遊妹は俺を滅茶苦茶嫌っているんじゃなかったっけ?そんな小鳥遊妹がどうして送る相手に俺を指名する?
俺がそんな疑問に悩まされていると小鳥遊妹がすくっと立ち上がり、
「ほら、行くわよ」
と俺をまったく見ないで言いやがった。
夜の住宅街を二人の男女が歩く。並んで歩くのがまだ恥ずかしいのか、男は女の三歩後ろを歩いている。その感じがまた初々しい。だが二人の間に会話は一切ない。
・・・・・・・・・・いい加減勘弁してくれ!
「・・・・なぁ」
俺は意を決して小鳥遊妹に自分から話しかける。
「何でわざわざ俺を連れてきたんだ?」
俺のことを嫌っているんだろう?と心の中で続ける。
「・・・・・」
小鳥遊妹は無言のまま歩を進める。
「あのまま真さんに車で送ってもらえばよかったじゃないか」
「・・・・・」
「おい、聞いてるのか、小鳥遊妹」
俺がそう言った瞬間、小鳥遊妹が凄い勢いで振り返った。凄い形相で俺を睨んでいる。
な、なんだよ、俺別に怒らせることは言ってないだろ。
「・・・・・小鳥遊妹って呼ぶな」
地獄の底から響いてくるような声音だった。俺はこういう声をギャング映画以外で聞いたことがない。
「じゃ、じゃあなんて呼べばいいんだよ。小鳥遊って呼ぶと小鳥遊さん・・・・お前の姉とかぶるだろ」
「・・・・・・私にはクリスティーナという名前がある。今後一切私を小鳥遊妹と呼ぶな」
「・・・分かったよ、クリスティーナ」
「馴れ馴れしく名前で呼んでいいなんて誰が言ったの」
「お前は俺にどうしろというんだ」
小鳥遊妹・・・・クリスティーナはまたもや俺のことを完全に無視して歩いていく。俺は大きくため息を吐く。
(帰っていいかな・・・)
はっきりと言って俺がクリスティーナについてくる意味があるのか。この辺は住宅街だからそんなに危険はないと思うんだが。っていうか結局さっきの質問に答えてもらってないし・・・・。
(ここからなら走って5分ぐらいかな)
俺が吸血鬼に成ってから1週間以上が経過する。だからだろうか、最近の俺は吸血鬼化する時間が長くなっている。今日は確か5時ぐらいに吸血鬼化して、今は7時ぐらいだろうか、最初は1時間ぐらいだったのがこれはまたずいぶんと伸びたものだ。
(そうすると危険度が増すんだよな・・・)
吸血鬼化している時間が長いとそれだけ優莉と怜莉の二人に見つかる可能性が上昇する。
(昨日は危なかったしな)
俺は大抵(二人に強制されなければ)夕飯を取った後は自室に戻るようにしてる。怜莉はもともとあまり俺の部屋には来ないし、優莉も夕飯の後は滅多に来ない。驚くべきことに優莉は9時には寝ているというのだ。だからちょうどその時間に吸血鬼化することが多い俺にしてみればそれは非常に僥倖だった。
なので昨日も俺は吸血鬼化した後もあまり警戒もしないでギターを弾いていたわけだったのだが・・・。
俺は左手で弦を押さえ右手で弦をかき鳴らしていた。
「ん〜、どうもコードチェンジが上手くいかないな」
手早くやろうとするとちゃんと押さえられない。この悩みはギターをやっている者なら誰でも分かってくれるだろう。
「C,D,Em、C,D,Em・・・・」
同じコード進行を反復して繰り返す。こうしてみるとこの馬鹿でかい屋敷は便利だ。隣家まで何百メートルとあるので苦情の心配はないので誰に気兼ねするでもなく音楽活動に勤しめるのだが・・・。
だからだろうか、俺は隣の部屋の窓が静かに開かれたことに気付かなかった。そして窓から窓へ飛び移るとかいうアクロバティックでまったく持ってお嬢様らしかぬ行動をとったバカがいることにも気付かなかった。吸血鬼の耳なら聞こえてしかるべきだったのだが、俺はギターに完全に集中していたので窓から(エルリアがぶっ壊して以来直していないので、未だにこの窓は開きっぱなしだった)優莉が飛び込んでくるまでまったく何も気付かなかったのだ。
「はぁい、由宇くん」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
俺は神速の動きで座っていたベッドから掛け布団を優莉に頭からかぶせた(多分1秒かからなかっただろう)。
「ちょ、ちょっとぉ〜、何するのよ〜」
「お、おま、お前、お前なぁ!一体どこから入ってくるんだよ!」
「窓からだよ」
「そうじゃなくて!いや、そうだけど、って俺が言いたいのはそんなことじゃなくて!何で窓から入ってくるんだよ、ちゃんとドアがあるだろ、なんで鍵かかってるのにお前が俺の部屋に忍び込めていたのかようやく分かったよ!」
ああ、もう!ほんとにこいつは俺を混乱させる天才だな!
「いいから、これ取ってよ〜」
そう言いながら優莉は自分にかぶさっている布団を取ろうとするが、まさかそんなことできるわけがない。今の俺は吸血鬼なのだ。万が一にもこの姿を優莉に見られるわけにはいかない。
すっかりパニクっていた俺は優莉が布団を取らないように(今思えば最悪の)行動をした。
「きゃっ」
俺は優莉の後ろ側に立ちながら優莉の身体と布団を自分の腕を使って接着させたわけである。つまり、分かりやすく、有体に言えば、
抱き締めたのだ。
(どうするどうするどうしよう!)
俺は優莉を抱き締めながら頭をフル回転させていた。
(と、とりあえず優莉を外に出そう)
と言ってもこの体勢じゃ歩くに歩けない。しょうがないから俺は優莉を抱いたまま持ち上げるとそのまま扉へと歩いていった。何故かさっきから優莉が妙に大人しいので、吸血鬼となってる今なら簡単に扉までたどり着くことが・・・・・・優莉が大人しい?
「おい、優莉、大丈夫か?」
まさか窒息してるんじゃないのか?心配になった俺は優莉に声をかける。
「・・・うん、大丈夫だよ・・・」
声が返ってきたので一安心。俺は鍵を開ける。
「あの、その、悪いな。今ちょっと着替えてて・・・」
穴だらけのいい訳だなと自分でも思ったが、優莉が反論してくることはなかった。
「なにか話でもあったのか?」
「・・・うん、まぁ・・・だよ」
煮え切らない優莉の返事に少し首を傾げる俺。どうしたんだ、こいつ。入ってきたときの元気はどこいったんだ?
「急ぎじゃないなら悪いけど明日にしてくれ」
「・・・・うん、分かった」
「じゃあ、お休み」
「・・・・お休み〜」
俺は優莉を解き放つと手早く布団を剥ぎ取り扉を閉めた。
「ふぅ〜」
俺はそのまま扉にもたれながら座り込んだ。これ以上何かをする気がなかったので、俺は少し早いけどさっさと寝ることにした。
(あれは本当に危なかった)
今日の優莉の様子を見る限りでは、どうやら気付かれなかったようだ。でもそれは運が良かったからで、下手したらばれていたかもしれない。
(今度からは吸血鬼化してるときは充分に警戒しなきゃな)
あと3週間で俺は完全に吸血鬼になるからそれまでの辛抱だ。
(もしかして昨日の優莉の話って、主役のことだったのかな)
だとしたら俺は自分で明日にしろといったんだよな・・・。
・・・・・優莉に謝っておくべきかな。
そんなことを考えていたら先を歩いていたクリスティーナが大きなマンションの前で立ち止まっていた。どうやら俺を待っているようだ。
「どうしたんだよ、いきなり立ち止まって。小鳥遊邸はもうすぐなのか?」
俺がクリスティーナに近づいてそう聞くと、彼女は一言も返さないでマンションの中に入ろうとした。
「ちょっと待てって・・・ここがお前の家なのか?」
小鳥遊と言ったら星織まではいかなくとも、日本有数の財閥だ。その小鳥遊家がただの(とはいっても最高級みたいだが)マンション住まいだとは思わなかった。まぁ、確かに星織邸みたいにあんな馬鹿でかい屋敷を建てる必要はまったくないが。
まぁ、家に着いたというのなら俺はお役御免だ。優莉と怜莉に怪しまれないうちにさっさと家に帰ろう。
「それじゃ、俺は帰るな」
俺がそう言うとクリスティーナは入り口に入る前に立ち止まって振り返った。
「ついて来て」
とだけ言い残してさっさとマンションの中に入っていく。俺はと言うと数秒間唖然としていた。今、あいつはなんて言った?
「・・・・マジで?」
呆然とたたずむ俺の視界に、入り口の自動ドア越しにこちらを睨むクリスティーナが映った。しょうがなく俺は自動ドアを抜ける。
「遅い、早く来なさいよ」
「あのさ、ここまで来たらもう俺がいる必要はないだろ?」
「つべこべ言わずついて来て」
にべもない。
クリスティーナは固く閉ざされた扉の前に立つと、その脇にあるコンソールに自分の手のひらを押し当てた。
『確認しました』
電子音声が流れると扉が開いた。続いてクリスティーナがコンソールのマイク部分に顔を近づける。
「外来一人」
『了解しました』
「すごいな、掌紋認証と音声認識か・・・」
その扉を抜けるとそこはまるでホテルのロビーかと見まごうほどの空間だった。柔らかそうなソファが置いてあり、天井からはシャンデリアがぶら下がっている。
(・・・・何だかこんなことじゃまったく驚かなくなった自分が嫌だ)
俺が人間の適応能力に畏怖を抱きながら突っ立てると、クリスティーナは扉の脇にあったエレベーターのちょうど来ていた一つに乗り込んでいた。俺も怒鳴られる前にすばやくエレベーターに乗り込む。クリスティーナはちょうど怒鳴ろうと口を半開きにしていたところだった。はっ、ざまぁみろ。俺だっていつまでも怒鳴られっぱなしじゃないんだ。
・・・・そんな器の小さい優越感に浸っている場合じゃなかった。
(一体どうなるんだ、俺・・・・?)
まさかこのままクリスティーナの両親に紹介されるのか?・・・・想像するだに恐ろしい。
俺は隣に無言でたたずむクリスティーナを横目で見る。聞いてみようかと思ったが、どうせ無視されるに決まっている。
はぁ、なんでこんなことになったんだろうな。帰ったら優莉と怜莉に何言われるか・・・・考えただけで古傷が痛む。
エレベーターはそのままどこにも止まることはなく最上階にたどり着いた。エレベーターを出ると4月の冷たい風が吹きつけてくる。
「高いな・・・」
下を見ると普通の一軒家が米粒のようだった(まぁ、それは過言だけど)。
クリスティーナはそのまま廊下をまっすぐ進み一番にある扉の前で止まった。クリスティーナはロビーでやったように扉の脇に設置してるコンソールに自分の手のひらを押し付けた。するとピッという電子音がしたと思うと扉が横にスライドした。
クリスティーナはそのまま中に入っていくが俺はその場に立ち尽くしていた。そんな俺に構わず扉は閉まっていく。
さて、帰るか。
俺はこんなにセキュリティが高いマンションの中まで送る必要が果たしてあったのかと考えながら、もしかしたらただの嫌がらせだったのかと思い至って背を向けた瞬間、再び扉が開いた。心なしかさっきよりも乱暴に開いた気がした。
「・・・・何帰ろうとしてんのよ。さっさと入ってきなさいよ、鬱陶しい」
「いや、だって・・・・なぁ?」
かなり理不尽な罵声を浴びている俺。全ての原因は何の説明もしないで俺を連れまわすこいつのはずなんだが。自己中ここに極まれり、だ。
そこでクリスティーナは(ようやく)気づいたらしい(遅ぇよ)。あからさまに俺を馬鹿にした表情をしながら、
「何を勘違いしてるのか知らないけど」
素っ気無い口調でこう言った。
「私、一人暮らしだから」
30畳ほどの広さのリビングにあるのはテーブルとソファと壁にかけられているテレビだけだった。角部屋なので景色は抜群で、式阪の繁華街がここからは全て見下ろせる。数々のネオンが輝いていて、おもわず感嘆の声を上げてしまった。
「綺麗だな・・・」
「・・・私はもう見飽きたけど」
後ろから声がかかる。振り返るとクリスティーナがポットの載った盆をテーブルに置いていた。
「あ、ありがとう」
「別に」
部屋に入ったクリスティーナは途端にどこかに行ってしまっていたけど、まさかお茶を入れてくれているとは思わなかった。
クリスティーナはソファに座り、自分の分だけお茶を用意する。
・・・まさか自分が飲むために入れたのか?
「なぁ」
意を決して俺はクリスティーナに尋ねる。
「何で俺をここまで連れてきたんだ?」
「・・・・・」
クリスティーナは答えずにソファをポンポンと叩く・・・・座れってことだろうか。俺はL字型のソファのクリスティーナの斜めの位置に座る。俺が座ると同時にクリスティーナがカップに紅く透き通った紅茶を入れてくれた。
「・・・・・ねぇ」
「ん?」
紅茶を堪能(・・・かなり苦かったけど。多分茶葉の入れすぎ)していた俺にクリスティーナはどこか躊躇いげに声をかけてきた。
「あんたって生まれたときから吸血鬼なの?」
・・・ああ、そういうことか。
すとんと腑に落ちた感覚だった。
多分クリスティーナは吸血鬼のことが知りたくて俺をここまで連れてきたんだ。
まぁ、そりゃそうだろうな。今まで空想の産物としか認識していなかった吸血鬼が実在するなんて知ったら好奇心を刺激されるのも当然の話だ。
ようやく納得がいった俺はソファに深く身体を預けながら口を開く。
「いや、生まれたときは人間だったよ。吸血鬼に成ったのはごく最近だ」
「じゃあ・・・」
クリスティーナは何かを言いかけて・・・・口を閉ざす。言わんとすることが分かったので、俺はその先を言葉にする。
「吸血鬼に血を吸われたから・・・じゃないよ。そもそも血を吸われたからと言って吸血鬼になるわけじゃないし、それに」
目を閉じながら俺は自分でも驚くほどあっさりと次の台詞を口にした。
「俺は自分から吸血鬼に成ったんだから」
「・・・・!」
クリスティーナが息を呑む気配が伝わってきた。
そこで俺は自分のことをしゃべりすぎていることに気付いた。こんなこと、知り合って間もないやつに話すことじゃない。
俺は短く息を吐いて、
「なんか他に聞きたいことってあるか?」
そう尋ねた。
クリスティーナは目を瞑って黙った後、
「そうね・・・・」
矢継ぎ早に質問を重ねてきた。
「まぁ、大体俺が知ってるのはこんなもんかな」
クリスティーナからの質問はとどまることを知らなかった。終いには俺が知っていること全部聞き出されたからな。別に隠しておくことでもないと思ったので包み隠さず話したが・・・・・良かったのかな?なんかちょっと不安になってきた。まぁ後でエルリアにでも聞いておこうか。そう思った俺が何気なく壁の時計を見たら、
「うわ。もうこんな時間かよ・・・」
時計の短針は8をとっくに越していた。さっさと帰らないと、何が起こるか見当もつかない。俺の命は真さんがどんな風にフォローしてくれたかにかかっている・・・・!
信じてますよ、真さん!
「じゃあ、今度こそ俺は帰るよ」
「そう言う暇があったら、さっさと帰んなさいよ」
・・・・・このやろう。自分で連れ込んでおいて、用が済んだらこれかよ。こいつ将来絶対に男を泣かせる女になるな、絶対!
「・・・・じゃあな、クリスティーナ」
「・・・・」
俺はソファから立ち上がり玄関へと歩いていく。ここから星織邸なら今の俺なら5分で帰れるな・・・・正直あまり帰りたくないけど。
「・・・・クリス」
「へ?」
クリスティーナの横を通り過ぎようとしたら、小さくクリスティーナが何かを呟いた。振り返ると、心なしかクリスティーナが顔を紅くしながら口を開いた。
「いちいちクリスティーナって呼ばれると鬱陶しいの。だから、特別に・・・・クリスって呼んでも良い」
「・・・・・」
驚きのあまり固まってしまった。
「なによ、そんなに驚くことじゃない」
驚くことだ。何だろう、こいつは俺のことを嫌っているのではなかったのか、それともそれはただの俺の被害妄想だったのか・・・・だとしたら恥ずかしいなぁ。
「あ、えっと、悪い」
そうだよな、まともに話したのだって今日が初めてだし。まだ知り合いって関係にもなっていないのに、口が悪くて性格が悪くて年上もまったく敬わない失礼千万なやつだなんて決めつけちゃ駄目だよな。
「・・・あんた、なんか失礼なこと考えてない?」
鋭い。
「・・・じゃあ俺のことも特別に水戸先輩と呼ぶことを許そう」
「なに自惚れてんの。あんたなんかあんたで充分」
・・・・このやろう。まぁ、いいや、こんなことでいちいち目くじら立ててたらきりがない。俺は小さくため息を吐いて、
「・・・・じゃあな、クリス。お休み」
そう言って部屋を後にした。
その夜。星織邸で哀れな男の断末魔が月の光る夜空に響いていった。