『記憶の檻』

ふと気が付くと俺は草原の中にいた。周りは草ばっかで、雲ひとつない青空がのぞいている。
(これは・・・・・夢だな)
時々、これは夢だと自分で分かるものがある。この場合、俺、と言っても姿は見えない、意識だけの存在である。
(ここはどこだろう・・・)
「おね〜ちゃ〜ん!」
そんな声が後方から聞こえる。無邪気な少女の声だ。その声の持ち主は、走ってここまで来たらしい、ゼェゼェと荒い息をついている。
「はぁ・・は・・・・お姉ちゃん、またこんなとこで寝転がって。洋服が汚れちゃうよ」
「風が気持ちいいね、カトレア」
少女の声に応えるものがあった。けれど声の持ち主は見当たらない。
「またそんなこと言って、もう騙されないもんね」
そう言って少女がふくれっ面で見つめてくるのは・・・・・俺?今明かされる衝撃の真実!どうやら俺はお姉ちゃんだったらしい!?いや、意味が分からない(自分で突っ込んでしまった、恥ずかしい)。
「ほら、カトレアも一緒に寝よう」
どうやら、その声はちょうど俺がいる辺りから聞こえてくるようで・・・・。
「何言ってるのよ。ほらぁ、顔にも砂がついてるよ」
そう言って少女が差し出してきた鏡に映ってるのは、俺ではなく、金髪の女性。
つまり、俺の意識がこの女性の中にあるってことなのか・・・?
「それよりもお母さんが呼んでるよ、エルリアお姉ちゃん」
「は〜い、今行きます」
俺の視線が急に高くなる。この女性が立ち上がったのだろう。けれど俺は、そんなことに構いもしなかった。少女の言った一つの言葉が頭を占領していたからだ。
(エルリア・・・・?じゃあ、これは・・・・)
もしかして、と一つの推測が生まれる。
(エルリアの記憶?)
そう思った瞬間、景色が変わる。さっきまでは見渡すばかりの草原だったのが、今や木々が生い茂る森の中である。
(つまり、俺はエルリアの記憶を追体験しているのか?)
何でこんなことになったのかは分からない、エルリアの血を飲んだせいだろうか?それと何故か舞台はどう見ても外国なのに、日本語として聞こえるのはどうしてだろう?
(しかし・・・・)
「う〜、重いなぁ。お母さんも私が女の子だってこと忘れていないかな」
エルリアは愚痴をこぼしながら買い物袋(ビニール袋ではなく、紙の袋だ)を両手で抱えている。
(キャラが違う・・・・)
エルリアとは知り合ったばかりだが(というか知り合ってからまだ1日もたってない)、こんな性格じゃなかったよな、確実に。
(長い間生きてると、性格も変わってくるのだろうか)
この時代がいつかは分からないが、少なくとも今よりはるか昔だということは分かる。
「あら?」
(ん?)
ふと前方に目をやると、誰かが倒れている。黒のマントを羽織ってうつぶせに倒れている。
「だ、大丈夫ですか?」
(うわ、露骨に怪しい)
エルリアが慌ててその人に駆け寄る。そいつを仰向けに転す。長い金髪を無造作にたらした若い青年だった。その顔色は悪く、顔には血管が浮かび上がってる。エルリアは何度も体を揺するが、反応はない。
「う、うわ、どうしよう・・・」
(俺、野垂れ死にって始めて見たな)
まぁ、まだ死んでるとは限らないが。慌てふためいているエルリアは、とにかく生きてるかどうかを確認しようと、心臓の辺りに手をやる。
「・・・良かった、まだ生きてる」
(なんだ、生きてるのか)
おもむろにエルリアは駆け出す。
「早く誰か呼んでこなくちゃ」
(しかし・・・・・)
俺はその倒れている青年に目をやる。その青年はさっきまでと違い仰向けに地面に寝ている。
(なんか、変だな)
そして場面が切り替わる。

そこはどこかの部屋だった。広さは8畳ほど、窓際に置かれているベッドにさっきの青年が寝かされている。
「ひどく衰弱しているみたいだけど、それ以上のことはちょっと分からないね」
「・・・そうですか。わざわざすみません、タ―ニャ先生」
「いいって。ちょうどこの村に来てたからね、これくらいお安い御用さ」
青年を診ていた茶髪の女性がエルリアに笑顔を向ける。
「そんなことより、エルちゃん、何でこんなの拾ってきたのさ」
「だ、だって森の中で倒れていたんですよ。助けるのが人として当然じゃないですか」
「はいはい、エルちゃんはいい子だね〜」
「や、やめてください、頭撫でないで。私もうすぐ17ですよ」
「いくつになってもエルちゃんはエルちゃんだもんね〜」
女医と思われる女性は散々エルリアをからかって、部屋を出て行った。換わりに入ってきたのは、金髪の中年の女性だ。
「で、ターニャはなんて言ってた?」
「衰弱してるってことしか分かんないって。ねぇ、お母さん、どうしようか」
「どうしようかって、エルが拾ってきたんだから、あなたが面倒見なさいね。ちゃんとご飯もあげてお散歩もするのよ」
「もう、犬じゃないんだから!」
「エル、これで何度目かしら。猫が4匹、犬は3匹。後はインコをどこかから捕まえてきたり、挙句には熊の赤ちゃんまで」
「む、昔のことじゃない」
(拾いすぎだろ・・・・・)
お前はどこのムツゴロウだ。そんな俺の心からの突っ込みも届くはずなく、エルリアとエルリアの母親は昔話に花を咲かせる(もっぱら咲かしているのはエルリアの母親のほうだが)。
「その熊がどんどん大きくなっちゃって、村中お騒ぎになったこともあったわね」
「だから、泣く泣くギルガメッシュを森に返したんじゃない・・・」
(何その名前・・・)
熊にメソポタミアの英雄の名前とは。
「この家がなんて呼ばれてるか知ってる?動物園よ、動物園」
「い、いいじゃない。私動物園好きだもん」
「でもまさか、人間を拾ってくるとは思いもしなかったわ。母さん、不覚」
と、そこでエルリアの母親は顔を真剣なものに変えた。
「まぁ、仕方ないから目が覚めるまでうちで面倒見ましょう。この状態で放り出すってのもあれだしね」
「うん、ありがとう。お母さん」
(・・・・・母親、か)
様々な感情が俺の中に湧き上がったが、何とかしてそれを考えないようにする。エルリアと母親は共に立ち上がって、部屋を出て行こうとする。そのとき、
ベッドで寝ているはずの青年がエルリアたちの背中をじっと見ていた気がした。

「えっ、ターニャ先生、もう帰っちゃったの?」
「ええ、今日朝早く帰ったみたい。部屋にいなかったから」
「でも後三日ぐらいはいるって言ってなかった?」
「うーん、そうなんだけどね。私も何も聞いてなかったからびっくり」
エルリアが母親とテーブルを挟んで話してる。ここはエルリアの家のダイニングのようだ。もう場面の切り替えにもなれたので、戸惑うことはない。
「じゃあ、何も言わずに出ていっちゃったんだ」
「何か急ぎの用事でも出来たのかもしれないわね」
しばらくエルリアたちの雑談が続く。そうしてるとひょっこり小さな少女が顔を出した。確か最初に出てきた少女だ。エルリアのことをお姉ちゃんと呼んでいたから、エルリアの妹だろう。
「ふあ〜あ。お母さん、お姉ちゃん、おはよう」
「おはよう、朝ごはんそこにあるからね」
「カトレア、珍しいね、こんな時間に起きるなんて」
カトレアと呼ばれた少女はエルリアの隣に座ると、パンを一つ掴む。
「うん、今日はね、みんなと遊ぶ約束してるの」
「あんまり森に行くのはやめなさいね。この時期動物たちの気性も荒いから」
「分かってるよ。お姉ちゃんこそあの丘で昼寝するの良くないと思うよ」
エルリアとカトレアは笑いあいながら話している。どうやらとても仲のいい姉妹のようだ。そういえば怜莉と優莉もなんだかんだ言って仲いいよな。俺と朱里はそうでもなかった(って言うか悪かったというべきか)ので、やっぱり同じ性別のほうがいいのかなとかちょっと思ったり。
「あ、そうだ、エルリア。あなた、二階の彼の様子見に行ってきなさいな。もしかしたら目を覚ましてるかもしれないから」
「ん、そうだね。じゃ、ちょっと行ってくるね」
席を立つエルリア。そのまま階段を上っていき突き当たりのドアを軽くノックする。すると中から「はい」と返事があった。
(目を覚ましたのか)
エルリアがドアを開けると、金髪の青年がベッドから上半身を起こしてエルリアを見ていた。
「目を覚ましたんですね」
エルリアはそう言いながらベッドに近づいていく。
「具合はいかがですか?」
「もう大丈夫です。助けていただき本当にありがとうございます」
そう言って青年は頭を下げる。
「いえ、人間助け合いですから」
エルリアは顔を上げた青年の顔を見る。遠くからでは、長い前髪でよく見えなかったが。
(こいつ・・・・!)
「赤い・・・瞳」
「珍しいですよね」
青年はそう言って前髪を掻き分ける。すると青年の両目が血のように赤い瞳が晒される。
「私、初めて見ました・・・・」
「生まれたときからなんです。医者が言うには原因不明だって」
(吸血鬼・・・か?だとしたら、こいつが・・・?)
「それより、どうしてあんな森の中で倒れてたんですか?」
「・・・実は、僕、家を出てきたんです」
青年は重々しく言葉を連ねる。
「何の当てもなく家を飛び出したので・・・」
あんなところで倒れていた、と。もっともらしく聞こえるが、それが本当かどうかは分からない。
「ああ、そういうことだったんですね」
だけどエルリアは簡単に納得した。
(・・・・昔のエルリアって・・・・)
暢気って言うか、なんか何も考えてない人って感じがするなぁ・・・。
「じゃあ、しばらくここにいるのはどうですか?」
「えっ」
(えっ)
図らずも声をハモらせた俺と青年。正直、エルリアの思考についていけない。それは青年も同じだったようで、
「あの、どういうことでしょうか?」
と疑問をエルリアに投げかける。
「どこも行く当てがないんでしょう?なら、このまま私の家にいたらいかがですか?」
(犬や猫じゃないんだぞ)
「えっと、その、僕としては大変嬉しいんですが・・・・いいんですか?」
「大丈夫ですよ、部屋も余ってますし。この村、若者が少ないからきっと重宝されますよ」
(おいおい、勝手に決めていいのか)
こういう場合、先に親に相談すべきではないだろうか。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして!」
元気よく返すエルリア、だがその背後から、
「何を勝手に話を進めてるの?」
「あ、お母さん」
エルリアの母親登場。どうやらだいたいの事情は分かっているようだ。ということは一体いつから聞いていたんだろうか。
「まぁ、いいけどね。ワケアリだろうとは思ってたし。ちょうどアルゴさんが人手がほしいって言ってたし」
「お母さん、ありがとう!」
「本当に、何から何までご迷惑をおかけします」
「いいのよ、あんまり気にしないで。その代わりこき使うから」
「良かったね、認めてもらえて」
(良かった、か・・・?)
エルリアの母親の最後の言葉がやけに不気味に聞こえたのは俺だけだろうか?
「そういえば名前をまだ聞いてなかったね。私はエルリア、エルリア・マリーゴールド。あなたは?」
「僕は・・・」
そこで青年は一旦言葉を切る。まるで何かを今考えているかのようだった。
「僕は、アイン、です」

目が覚めた。さっきまでの夢の余韻がまだ頭に残ってる感じがする。普段なら起きた瞬間にどんどん忘れてしまうものだが、何故かこの夢だけは鮮烈に記憶に残っていた。
(夢・・・。本当に夢だったのか・・・?)
それにしては妙に現実感があったと思う。
「・・・・まだ5時にもなってないか」
こんな早起きするのは何ヶ月ぶりだろうか。今日は日曜日だし、もうちょっと寝ててもいいだろう、と俺がふと横を向くと、
水無月が眠っていた。
「・・・・!!!」
驚きすぎて声も出ない。て言うか、何で、どうして、どうなって、水無月が俺のベッドで眠っているんだ!?
と思ったけど、よくよく考えてみたら、昨日あのまま疲れ果てて眠ってしまったのだろう、と思い至った。水無月も体調が良くなかったんだし。だけど、俺たちはベッドの脇にいたような・・・・・?無意識にベッドに移動したのだろうか。
俺はふと隣で安らかに眠る水無月の寝顔を見る。顔色も大分良くなっている。だけど、きっと今日は満足に動けないだろう。胸が罪悪感で痛んだが、そう感じることすら逃避に思える。
「しかし、今日は優莉が来なくてよかった」
こんなところを見られたら、一体何が起こるのか考えたくもない。阿鼻叫喚、地獄絵図、麗らかな気持ちがいい朝に俺の断末魔が響くことになるだろう。
「まぁ、それは言いすぎか」
と俺が苦笑した瞬間、
部屋の扉がガチャと開いた。
そして顔を覗かせる金色の人型熱帯低気圧。
その視線がまず俺を捉え、
次に俺の隣でスゥスゥと寝息をたてている水無月に移る。
金色の熱帯低気圧の風速が徐々に増していき、
俺の部屋に台風が発生する。
そして展開されるは阿鼻叫喚、地獄絵図。
麗らかな気持ちがいい朝に、俺の断末魔が響いたのであった。

「やめ、やめてくれ、痛い痛い痛い、ちょっと、優莉!」
「由宇くんのばかぁ!」
割と本気で殴ってくる優莉。その目は血走っており、なんだかとっても怖い。
「ばかばかばかばか!」
連打をかけてくる優莉。ぐほっ、頬にクリーンヒット!げふっ、鳩尾に抉りこむように・・・・!
「ん〜〜・・・・・・由宇人様?」
水無月が目を擦りながら、身を起こす。すると途端に優莉ラッシュ(威力極大)がピタリとやむ。あと1分も続いていれば、俺は確実にKOされていただろう。
「水無月ちゃん」
いつもの優莉とはうって変わって、感情のこもらない平坦な声。水無月は驚いた顔をする。最近水無月の珍しい顔がよく見れるなぁ、と優莉に襟首を掴まれている俺。もはやぼろ雑巾と言っても過言ではない。
「なんで、水無月ちゃんが、由宇くんのベッドで、由宇くんと、一緒に、寝ているのかな」
顔は笑ってるが、その笑顔からは悪寒しか感じられない。普段の自分をきっぱりと棚に上げた優莉の物言いに、感心を抱いてしまう俺(言わずもがな現実逃避である)。
すると何故か水無月は毅然とした表情をして、優莉に向けてこう言った。
「いけないのですか?」
「・・・・・」
優莉は俺を掴んでいた手を離す。ニュートンの法則により床に激突する俺。そんな俺を無視してにらみ合う水無月と優莉。
「優莉様はいつも由宇人様のベッドに忍び込んでいるのに、私は駄目なのですか?」
「それは・・・・」
言葉に詰まる優莉。というか何でこの二人、険悪なムードになっているんだ?俺は床に座りこんで、この状況を見守ることしか出来ない。つーか眠い。
「・・・・・ずいぶん、積極的になったね、水無月ちゃん」
「ええ、6年前とは私も違いますから」
6年前?この二人は何を言い争ってるんだろう。まぁ、そんなことどうでもいいから早く俺のベッドを解放してくれないかな、眠くてしょうがない。
この際ソファでもいいや、と思って俺が立ち上がり、ソファのほうへ歩いていこうとすると、
「由宇くんはこっちにいなきゃだめ」
「由宇人様はこっちにいてください」
・・・・二人が怖いです。何故か、水無月も優莉も普段とは全然違う態度だし。ああ神様、俺はどうすればいいんでしょうか。
困惑する俺に、ふと色褪せたおぼろげなイメージが思い浮かぶ。同じように向かい合って喧嘩をしている黒髪と金髪の幼い少女たち。そして、それを止めようとするもう一人の金髪の少女。
「・・・・・何をしてるの」
突然、入り口からそんな声が聞こえてきた、と思ったらそのイメージは跡形もなく霧散していた。見てみれば、怜莉が寝巻き姿で立っている(怜莉の寝巻き姿など滅多に拝められるものではない。なんだかとっても新鮮だ)。
「由宇人の叫び声が聞こえてきたと思ったら、水無月も優莉も何をやってるの?」
怜莉は呆れたような口調で言いながらこちらに歩いてくる。
「怜莉様・・・」
「怜莉ちゃん・・・」
「まぁ、大体の事情は分かったけど」
そこで怜莉は所在なさげに立っている俺を見る。俺にはワケがわからない。
「とにかく、優莉も水無月も自分の部屋に戻りなさい。まだ早朝なのよ、みんなに迷惑がかかるわ」
「・・・・うん」
優莉は渋々といった感じで部屋を出て行く。
「・・・・・私も自分の部屋に戻りますね」
水無月もそう言ってベッドから出ようとするが、足腰が立たないらしく、床にへたり込んでしまう。
「水無月?体調が悪いの?」
「いえ、大丈夫です」
気遣う怜莉にそう返すが、体調が万全じゃないのは傍目から見ても明らかだ。
「無理するなよ、水無月。今日はゆっくり休んでいてくれ。正造さんにも俺から話しておくから」
「・・・しかし」
「頼むから」
「・・・・・分かりました」
俺は水無月の身体に腕を回し、水無月を抱きかかえる。
「え、あ、あの」
「今の水無月じゃ一人で部屋まで戻れないだろ」
抱きかかえた水無月は思ったよりも軽かった。水無月を抱え、部屋を出る。怜莉も一緒についてくる。
水無月の部屋は怜莉の部屋の向かいにある。この屋敷は馬鹿でかいので部屋から部屋まで移動するのにも結構な距離を歩くことになる。
水無月をベッドに寝かせて部屋を出る俺たち。するとさっきまで無言だった怜莉が口を開いた。
「どういうことなの?」
「俺にもよくわからないんだけど・・・・」
俺はさっきまでのことをありのままに話す。怜莉には吸血鬼のことを知られてはけないから、そこのところは割愛して。
「・・・・・つまり、水無月の体調が悪かったから由宇人のベッドに寝かせていたのね」
「まぁ、そういうことだ」
まさか、水無月の血を俺が吸ったせいで、なんて言えるわけもない。
なので俺は、俺の部屋を訪れた水無月の具合が突然悪くなったので、俺のベッドに寝かせた。水無月がぐっすりと眠ってしまったので、動かすことも出来ず、脇で看病していたらいつの間にか眠ってしまった、というストーリーをでっち上げた。
所々に無理があるが、怜莉が追求することはなかった。
「・・・・・わかったわ。優莉には私からこのことを話しておくから」
「ん、助かる・・・・というか何であの二人はあんなにけんか腰だったんだ?」
さっきから気になっていたことを怜莉にたずねる。
すると怜莉は、黙って俺を見つめてきた。
「な、何だよ」
怜莉に見つめられて、不覚にもドキッとしてしまった俺は照れ隠しのように口を開く。
怜莉の青い瞳が俺を写す。
その青い瞳から伺える感情は、
失望?
それとも、安堵?
怜莉は数秒間俺を見つめると、なんでもなかったかのように目をそらしこう言った。
「・・・・・さぁ?私にも分からないわ」
怜莉はそう言った後、正面にある自分の部屋の扉に手をかけて、
「じゃあお休み、由宇人」
振り向きもせずにそう言って、部屋の中に入っていった。

「ここだよな」
つぶやいた俺の目の前にあるのは、地上何メートルあるかも分からない塔だった。
「何でこんなものがあるんだ、この家・・・・」
あれから正造さんの部屋に行って(驚いたことに正造さんは起きていた。日曜日の5時に起きている人間を俺ははじめて見た)、昨日あったことを包み隠さず伝えた。俺が水無月の血を無理やり吸ったこと、そのせいで水無月は今日は動けないことを言うと、正造さんはただ一言「分かった」と言い、俺に「気にするな」とだけ言った。
その後部屋に戻った俺がベッドに入り、目を覚ましたら12時になっていた。食堂に下りると、怜莉と優莉、弥生さんが揃っていて、
「由宇くん、起きるの遅〜い」
と優莉に言われたのがものすごく屈辱だった。まぁ、優莉の機嫌も直っていたのでよしとしよう。
昼食(朝食?)を食べ終わった俺は、昨日見た夢のことをエルリアに聞くためにこの塔を訪れたわけである。
「おじゃまします・・・・」
中に入るとそこは倉庫として使われているようだった。雑多なものがたくさん置かれている。真ん中に一本大きな柱があり、柱から半径20メートルぐらいの空間だ。どうやら階層になっているらしく、壁に沿うように階段が設置されていた。
階段を上ると2階も1階と同じような空間だった。
「あいつ、どこにいるんだ・・・・?」
もしかして最上階だろうか。俺はこの塔の高さを考えて、どうかそうでありませんようにと願った。

「遅かったな」
エルリアはソファーに優雅に座りながら、息を切らしてる俺に向けて開口一番そう言った。
俺が体力を使い果たしてたどり着いた最上階は、天蓋つきのベッドやロココ調の家具など、どこかの城の中かと思うほどだった(まぁ、それを言うのなら星織邸全てがそんな感じだが)。
「お前、人間にしても体力ないな」
「・・・・大きな、お世話、だ」
ようやく息が整った俺は憎まれ口を叩きながら、窓際に置かれてる椅子に座る。エルリアとは昨日であったばっかりだが、不思議と気を遣おうとは思わなかった。それは相手が人間でなく、吸血鬼だからだろうか。それとも昨日の夢のせいだろうか。
「遅かったって、俺が来るの知ってたのか?」
「単に下の扉が開く音が聞こえただけだ」
こともなげに言うエルリアだが、何十階も下だぞ・・・・?何メートルあると思ってんだ。吸血鬼と言ってもまさかここまで身体能力が上昇するとは驚きである。
「それで、何の用だ」
「・・・・実はな」
少し躊躇する。人の記憶を勝手に見られたら、それは気分が悪いだろう。だがここまで来たんだ、腹を括るしかない。
「夢を見たんだ」
「それが?」
どうでもよさそうなエルリアの返事。俺は簡潔に言う。
「お前の夢だった」
「・・・・・・」
とたんに黙り込むエルリア。その顔がどんどん赤くなっていく。さっきまで落ち着いていたエルリアがいきなり慌てだした。
「・・・・・そ、それは・・・・わ、私を、く、口説いているのか?」
「は?」
口説く?誰が誰を?
エルリアは赤くなりながら「わ、私は、そういう色恋沙汰に興味はないからな!」とか言ってる。どうやら何か誤解が発生しているようだ。
そこで俺も言葉が足りなかったことに気付いた。
「そうじゃなくて・・・・・・昔のお前の夢を見た」
「・・・・!」
そこでエルリアもやっと俺の言いたいことを理解したようだ。真剣な顔になる。
「そうか・・・・そういえば私もそうだったな・・・・」
エルリアは憂いのある表情をして、一度深いため息をつく。
「私の記憶を見たんだな?」
俺は無言で頷く。
「・・・・・どこまで?」
「お前の家に吸血鬼らしき男が居ついたところまでだ」
「・・・・・・」
エルリアはそれきり黙る。それは、エルリアにとってどんな記憶なのだろう。遠い遠い、自分がまだ人間だったころの記憶。もう一生会えない家族との記憶。それは、一体どんな感情をエルリアに起こさせるのだろうか・・・。
俺がそんな物思いに耽っていると、エルリアが淡々とした口調で口を開いた。
「人間が吸血鬼になるとき、稀にその『親』となる吸血鬼の記憶が流れ込むことがあるらしい。どういう原理なのかは分かっていない。ただ分かっているのは、その記憶は、その『親』の吸血鬼にとって、一番、忘れがたい記憶だということ」
忘れがたい記憶・・・・。俺はエルリアのそんな記憶を見ることになるのか。
それは、とても・・・・重い。
「・・・・・一ついいか」
「・・・何だ?」
エルリアは立ち上がり俺の目の前に立つ。窓から差し込む強い光のせいでエルリアがどんな顔をしているのかは分からない。
「今後一切、その話を私にしないでほしい」
その言葉にこめられた感情は何なのか、俺にはまったく分からなかった。だから、俺には、
「・・・・・分かった」
ただ頷くことしか出来なかった。
「そういえば」
俺は話題を変えようと、努めて明るい声を出す。
「俺、確か髪伸びてたよな」
俺はそう言いながら自分の髪に触れる。昨日は確か肩ぐらいまであった髪が、いつの間にか伸びる前に戻っている。爪もめちゃくちゃ伸びてたはずだが。
「ああ、それはな」
エルリアもさっきまでの事などなかったかのように、窓を開け放ち、その縁に座る。
「吸血鬼化すると急速に代謝能力が高まる。それによって髪や爪が一時的に伸びるのさ。まぁ、人間に戻れば、それらも元に戻るがな」
「なんだ、そういうことか」
それは良かった。もし伸びっぱなしになっていたら、優莉と怜莉に感づかれたかもしれなかったからな。
「言っておくが、戻ると言っても縮むわけじゃない。髪は全て一回抜け落ちて、また生えるというプロセスだ」
「え、でも別に髪とか落ちてなかったぞ」
いくら俺でも髪が散乱していたら気付く。
「私が片付けたんだ。親切に爪まで切ってやってな。加えるなら、抱き合ったまま眠っていたお前たちをベッドに運んだのも私だ」
「・・・・・!」
俺の脳裏に昨日のことが鮮明に映し出される。あの時は水無月に謝るのに必死で何も考えていなかったが、思い返せば俺は水無月の身体を思い切り抱きしめていなかったか・・・・!?
「貸し一な」
「ぐっ・・・・」
俺が夢で見たのはエルリアじゃなくてまったくの別人じゃないのか、と思いながら「・・すぐに返してやる」としか言えない俺だった。

「ばぁっ!」
「うわぁっ!」
俺が塔から出てきたと同時にそんな声が左から響いた。慌てて振り向くと、そこにはいやらしい笑いを貼り付けた優莉が立っていた。
「は〜い、由宇くん、びっくりした〜?」
「お、お前なぁ、本当に心臓止まるかと思ったぞ」
いまだに心臓がドキドキ。実は俺、かなりのビビリです。
「ねぇ、由宇くん。何でこんなところにいるの?」
「え、いや、別に」
そういえばここで疑問。優莉と怜莉はエルリアの存在を知っているのだろうか?吸血鬼だということは知らなくても、旧知の間柄である可能性もある。さてどうしよう、ここは誤魔化すのが一番か。
「ちょっと探検にな。ほら、俺まだこの家知らないとこあるし」
「こんなとこ探検しても何にもないよ。ここ物置だから」
「そうみたいだな」
きっと世界一高い物置だろうな。そして最上階には吸血鬼が住んでいるというおまけつきだ。
「お前は何してるんだよ」
「私はお散歩してたんだよ。そしたら由宇くんがここに入っていくのが見えてね、私も中に入ったんだけど、由宇くんどこにもいなかったから入り口で待ってたの」
「脅かす必要ないよな」
「だって、由宇くん怖がりじゃん」
それを知ってて尚やるか・・・。俺の回りこんなのばっかだなぁ・・・。
「あ、あとね、由宇くんに話があったの」
「何だよ」
「えっとね、その・・・」
優莉が口ごもるなんて珍しいな。
「・・・・・今日の朝はごめんなさい」
そう言って優莉は頭を下げる。突然の展開に慌てる俺。
「ちょ、ちょっと待てよ。別にお前が謝ることなんてなかったろ」
というか今日の朝のことはいまだに何がなんだか分からないので、とりあえず適当に返す俺。
「ううん、あれは私が悪かったの。水無月ちゃん具合悪いって怜莉ちゃんから聞いて。あの、私、勘違いしちゃったみたいで、その、由宇くんにも迷惑かけたし・・・」
「あ、いや、俺は別に」
殴られただけだし、という言葉は飲み込んで(実際、なんとも思ってないし)、何故か落ち込んでる優莉を励まそうと柄にもなく口を開く。
「朝のことは、実はよく分かってないけど、誰が悪いってわけでもないと思うし、だから、別に優莉が謝るとか、その・・・」
口を開いたものの、何と言っていいのかよく分からず結局尻すぼみになる。
「・・・・ありがとう、由宇くん」
それでも優莉は笑ってくれた。その時の優莉の笑顔がとても大人びて見えて、不覚にも見惚れてしまう。
見惚れたことを隠すようにそっぽを向いた俺に突然衝撃が襲った。
「お、おい!優莉、何してんだ!」
なんと優莉が俺の身体に抱きついているではありませんか(動揺)!?
「うふふ、充電」
そのまま動くことを許されず、抱きつかれたまま石になる俺。
「ありがと」
離れる優莉。
「由宇くんはやっぱり優しいね」
予想外の出来事に固まっている俺にそう言って、優莉は走って去っていった。
「・・・・・・」
空を仰ぐ。最近驚いてばっかだなぁ、と思いながら俺も屋敷に向けて歩き始めた。

深夜。きっと誰も起きていないだろう時間。
「ぐぅぅ、あ、ああ」
俺の身体を耐えがたいほどの吸血衝動が襲う。だが昨日と同じことを繰り返すわけにはいかない。歯を食いしばって、冷蔵庫に入っていた輸血パックを手に取る。
「・・・・まず」
ストローを使って流し込んだ液体は喉にべったりと纏わりつき、俺は思わず吐き出しそうになる。
(水無月の血は美味かった・・・)
そんなことを一瞬考える。それを振り払うように床に頭をぶつける。何度も何度も、額から血が吹き出てくるが、一瞬でその傷が癒える。傷つき、癒えて、傷つき、癒えて。何度繰り返しただろうか、気がついたら俺の血でべったり濡れた床と大量の髪の毛が散らばっていた。
(音、聞こえてないかな)
それらを片付けながらそんなことを思う。幸いに怜莉と優莉の部屋は俺の部屋から遠いので大丈夫だとは思うが。
吸血騒動も治まっており、俺は倒れこむようにベッドに入る。
「今日もエルリアの夢を見るのかな・・・・」
疲れ果てていた俺は電池が切れたように意識を失った。

(ここは・・・)
どこかの商店街のようだ。色とりどりの野菜や果物が所狭しと目に入ってくる。
(エルリアの記憶・・・・・か)
「エルリア、ちょっといいかい」
話しかけてきたのはアインと名乗ったあの青年だった。エルリアはアインと一緒に買い物をしてるようだ。
「なぁに?アイン」
「明日、エルリアの誕生日なんだってね」
「うん、私17になるの」
二人は仲睦まじくしゃべっている。前回の夢からどれだけ経ったのかは分からないが、いまやこの青年もすっかり馴染んでいるようだ。
「とびきりのプレゼントを考えているから、楽しみにしてて」
「ありがとう!アイン」
素直に喜ぶエルリア。昼間のエルリアとのギャップに、何とも言えない感情が俺の中に巻き起こる。例えるのならば、そう、絶滅した動物を写真で見ているかのような物悲しさというか何というか・・・。
「そういえば最近、この辺で行方不明事件が多発だって。もう4人もいなくなっちゃってるらしいよ」
(行方不明?)
「それも若い女性ばっかだって。もしかしたら誘拐事件かもね」
「・・・・へぇ、ぜんぜん知らなかったよ」
「私も狙われるかも。ちょっと怖いな」
「エルリアは大丈夫だよ。僕がついてるから」
(こいつ、エルリアに惚れてるのか?)
「ふふ、ありがと、アイン」
当のエルリアは、そんなこと露とも思っていない様子で笑い返している。そんなエルリアを見るアインがどこか思いつめたような表情をしていたように俺には感じられた。

「お誕生日おめでとう!お姉ちゃん」
「おめでとう、エルリア」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう、カトレア、お母さん、アイン」
場面は変わり、たくさんの料理が並べられたテーブルを4人が囲っている。どうやらエルリアの誕生日パーティのようだ。
「はい、お姉ちゃん。お誕生日プレゼント」
そう言ってエルリアの妹のカトレアが差し出したのは、きれいな赤い石がついた腕輪だった。
「森で拾った石をね、アルゴさんに加工してもらったんだ」
「カトレア・・・・ありがとう」
「つけてみて、お姉ちゃん」
エルリアはその腕輪を優しく腕に通す。エルリアの右腕に赤石がきらりと光る。
(おいおい、これってもしかしてルビーじゃないのか・・・・)
「うん!似合うよ」
「本当にありがとう、カトレア。すっごく嬉しい」
「じゃあ次は私から」
エルリアの母親はそう言ってリボンでコーティングされた大きな包みを取り出す。
「開けてみて」
「うん・・・・・うわぁ」
そこから出てきたのは純白のドレスだった。余計な装飾のない、シンプルでいて細部にまで凝ったつくりのドレス。それをエルリアは立って広げる。
「これってお母さんが結婚したときのドレスだよね・・・」
「そう、亡くなったお父さんが私のために買ってくれたシルクのドレス」
「でも、これはお母さんの思い出のドレスでしょ?」
「いいのよ・・・きっと天国のお父さんも喜んでいるわ」
「・・・・ありがとう、お母さん」
エルリアは泣き声交じりにお礼を言う。
「着てみてもいい?」
「当たり前じゃない。それは今はあなたのものなんだから」
エルリアは嬉しそうに自分の部屋に行って、大きな姿見の前で着替え始める。
(ちょ、ちょっと待て!)
だが俺の声が聞こえるわけもなく、エルリアは着ていたものを脱ぎ始める。
(鏡なんか見るなよ!)
俺の叫びもむなしく大きな姿見には、惜しげもなくエルリアの下着姿が映し出されていた。
(う、わ・・・意外とエルリア、グラマーだな・・・・)
それからエルリアは優しく丁寧にドレスを着始める。
(これがエルリアに知れたら、俺死ぬかも・・・)
目の前に、純白のドレスを着たエルリアがいろいろのポーズをとっている。そんなエルリアはとても綺麗で、美しかった。
エルリアがダイニングに戻ると、返ってきたのは感嘆の声だった。
「お姉ちゃん、綺麗・・・・」
「へぇ、ここまで似合うとはね・・・・」
「エルリア・・・美しい」
「えへへ」
照れた様子のエルリアにアインが進み出る。
「本当に美しいよ、エルリア」
「ありがとう、アイン」
「じゃあ僕からもプレゼントを、と言いたいところだけど、僕のはパーティが終わってからのお楽しみということで」
「プロポーズするつもりなんじゃないの〜?アインお兄ちゃん」
「ま、そうなの?アイン」
「ふ、二人ともへんなことは言わないでください」
「あ〜、お兄ちゃん、動揺してる」
「孫を見れるのはいつになるのかしら」
「もう、カトレアもお母さんも、アイン困ってるじゃない」
にぎやかな食卓に笑い声が響く。誰も彼も笑顔を浮かべ、そこには幸せしかなかった。
これがエルリアの大切な記憶。エルリアの忘れがたい記憶。
俺は見ていたくなかった。見るのがとても辛かった。何故なら、この幸せが続かないことを知っているから・・・・。

「こんなところに呼び出して、どうしたの?」
エルリアがそう問いかけたのは、目の前に立つアインだった。二人がいるのは月の光で照らされた森の中。
(ここは確か・・・・)
「エルリア、覚えてる?ここで僕と君は出会った。と言っても僕は気を失っていたけどね」
「もちろん、覚えてるわ。アインったらこんなところで倒れているんだもの、本当にびっくりしたわ」
「・・・僕が今生きていられるのは君のおかげだ。本当にありがとう」
そう言ってアインは頭を下げる。
「ど、どうしたの、アイン。改まっちゃって」
「・・・・・エルリア」
アインは真剣な表情をして、こちらに歩いてくる。
「ア、アイン?」
アインはエルリアの目の前に立つと、突然エルリアを抱きしめる。
「・・・・・!」
「エルリア、好きだ。愛してる」
アインのいきなりの告白に固まるエルリア。アインはエルリアから離れると、ポケットから小箱を取り出す。小箱を開けると中身はダイヤモンドで彩られた指輪だった。
そして固まってるエルリアの左手を取るとその薬指にその指輪をはめる。
「僕と一緒に生きてほしい」
「えっと、え、その、あ・・・・・アイン、本気なの?」
「ああ、本気だ」
エルリアはしばらく逡巡した後こう切り出した。
「あの、私、まだそういうことを考えられないの。だから・・・ごめんなさい」
エルリアは頭を下げる。明確な拒絶。
だがアインは、
「だめだ」
「え?」
アインはおもむろに自分の左手首を、その鋭くとがった牙で、切り裂く。
「アイン!」
叫び声を上げるエルリアを強引に右手で引き寄せ、エルリアの口に手首から滴り落ちる血を飲ませた。
(ああ・・・・)
無理やり血を嚥下させられたエルリアは、咽ながらアインを両手で突き飛ばす。
「な、何するの!アイン!」
アインは無表情に立ったまま、その赤い瞳を煌かせる。
「実はね、エルリア。僕は人間じゃない、吸血鬼だ」
「吸血鬼・・?何を言ってるの?」
「だから吸血鬼だよ。文字通り血を啜る化け物さ」
「アイン、いきなりどうしたの!」
「最近、若い女性がいなくなっているだろう?アレは僕がやったんだ。僕が血を吸って捨てた」
「じょ、冗談はやめて、アイン。あなたさっきからおかしいよ・・・」
「そうそう、そういえば最初に僕を診てくれた女医さんがいたね。彼女、どこにいったのかな?」
アインの左手首の傷が見る見るうちに治っていく。
「・・・・・・」
エルリアは黙る。そんなエルリアの身体は小刻みに震えている。
「僕がここに倒れていたのはね、実は人間に追われていたからなんだ。隣の国でちょっと羽目を外しすぎてね。この国に逃げてきたのはいいけど、森で迷っちゃって。僕は人間の血を吸わないと生きていけない体だから、本当に死ぬ一歩手前だったんだ」
アインはそこでエルリアに向けて、ぞっとする笑顔を向けた。
「だから本当に助かったよ、エルリア」
「ねぇ、アイン、冗談だと言って!お願いだから!」
「ごめんね、エルリア。これは冗談でも嘘でもないんだ。そして、君ももう人間じゃないんだよ」
「え・・・」
「さっき君に僕の血を飲ませただろ?あれで君はもう人間じゃない、僕と同じ、吸血鬼だ」
エルリアは地面に力なくへたり込む。もはやアインの言う事を疑っていないようだ。
(エルリア・・・・)
「君はもう人間じゃない。だから僕と一緒に生きよう」
アインは一歩一歩エルリアに近づいてくる。
「・・・・いや」
アインはエルリアにその手を伸ばし、
「来ないでぇっ!」
エルリアはその手を振り払うと、一目散に走り出す。
「どこに逃げても無駄だよ、エルリア」

気がついたらいつの間にか、エルリアの家の前にいた。
「はぁ、はぁ・・・・」
エルリアは息を切らして、玄関の前の柱にもたれかかりながら座っているようだ。
「はぁ、はぁ・・・・・うぅ」
俺にはエルリアの顔は見えないが、どうやら彼女は・・・・・泣いているようだった。
「ううぅ、・・どう・・して、こんな・・・・」
「お姉ちゃん?」
玄関の扉が開く。顔を出したのはカトレアだった。カトレアはエルリアを見ると顔色を変えて駆け寄って来た。
「お姉ちゃん!どうしたの?何で泣いてるの?」
「カトレア・・・・」
エルリアがうつむいていた顔を上げたときだった。突然エルリアの身体が震えだす。
「あ、ああ、ああああああ」
「お姉ちゃん!」
「ああああああああ!」
(これは、もしかして・・・)
エルリアの身体には血管が浮かび上がり、毛髪や爪が異常に伸びている。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
懸命にエルリアに呼びかけるカトレア。エルリアはそんなカトレアにかまわず、頭を抑えて叫び声を上げている。
「お姉ちゃん!どうしたの!お姉ちゃんっ!」
カトレアは叫び続けるエルリアに抱きつきながら、泣き声交じりにエルリアに呼びかけ続ける。
そして、
エルリアは口からうめき声を出しながら、
自分に抱きついているカトレアの首筋に、
その人間にあるまじき鋭くとがった牙を、
(やめてくれ・・・)
突き刺した。
「あ、あ、お、おね、え、ちゃ、ん・・・?」
(こんなものを見せないでくれ!)
俺は叫ぶが、俺の意思とは無関係にエルリアはカトレアの血を啜り続ける。
「あ、あ、あ、あ、あ・・・・・」
エルリアは一心不乱に血を吸っている。そこにはエルリアの意識などなく、ただ吸血鬼の本能があるだけだった。
(やめてくれぇぇぇっ!)
俺がそう叫んだと同時に、偶然だろうが、エルリアはカトレアの首から口を離す。カトレアはぜんまいが切れた人形のようにエルリアの身体に崩れ落ちる。
「・・・・え・・」
正気に戻ったエルリアが、力なくもたれかかっているカトレアを見る。
「・・・私・・・・・何・・・したの?」
カトレアの顔には血の気がなく、その口からは荒い息が漏れている。カトレアを抱いているエルリアの腕が震え始める。
「あ、ああ・・・・いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
(うう・・・・)
鋭いくいが打ち込まれたかのように、俺の胸が痛む。まるで昨日の自分を見せられているかのようだった。いや、ようではなく実際同じだった。でも、だとしたら、
エルリアは昨日どんな思いで俺を見ていたのだろうか。
「カトレア、カトレア、カトレアァ!」
「ほらね、君はもう人間じゃないんだ」
泣き叫ぶエルリアの頭上から突然声がする。エルリアが見上げるとそこには、音もなく近づいていたアインが立っていた。その顔には勝ち誇った笑みが貼り付けられている。
「これで実感しただろ?君はもう人間じゃなくて、血を啜る化け物なんだ」
アインは湧き出る歓喜を隠し切れないように、笑い声をもらす。
「エルリア、君はもうここにはいられないよ。ここにいたって怖がられ、恐れられ、虐げられるだけだ。だから・・・・僕と一緒に行こう?僕だけが君を分かってあげられる」
そう言ってエルリアに手を伸ばす。エルリアは抵抗するそぶりも見せない。アインはエルリアの腕を掴むと一気に抱き寄せる。その際にエルリアにもたれかかっていたカトレアが地面に倒れる。
「あ・・・・・」
「さぁ行こう、エルリア。まずはどこに行こうか。海向こうなんて行ってみるのもいいね。あ、そうだ。極東に面白い国があるらしいよ。エルリアはどこがいい?」
アインはエルリアの腕を掴んだまま、まるでエルリアの体重などないように、道に出る。人の気配などまったくない、月の光に照らされた街道。
「新婚旅行だ。素敵な場所に行きたいね。二人の一生の思い出になるよ」
アインはこれ以上ないほど嬉しそうに、言葉を連ねる。そんな中黙ったままだったエルリアが弱弱しく口を開く。
「お・・・」
「なんだい、エルリア?」
「お・・・せ・・・」
「エルリア聞こえないよ」
そう言ってアインが近づいてくる。その顔は喜悦で満ちている。エルリアが自分のものになったと思っているからだろうか。これっぽちも警戒していなかった隙だらけのアインにエルリアは、
「おまえのせいでぇっ!」
全身全霊の力でアインの横っ面を殴り飛ばした。
(!)
殴られたアインは不自然なほどきりもみ回転しながら、街道のそばに生えていた木に凄まじい音を立ててぶつかる。
動かないアイン。
「・・・あ・・・・」
エルリアが近づいてみると、アインの首は二重三重に捩れていて、目玉も半ば飛び出しており、口からは舌が出ていた。頭も割れており、そこから脳みそらしきものが流れ出していた。
生きてる人間の顔じゃ、なかった。
「・・・・死んじゃった?」
エルリアが茫然自失といった感じで言う。
「私が・・・・殺した」
(エル、リア)
「私は、本当にもう・・・・人間じゃないんだ」
淡々と語るエルリアの言葉に、俺は締め付けられるような思いだった。今の俺にはエルリアの苦しみが、悲しみが、絶望が、よく分かったから。
「いやあああああああああああああああ!」
月に向かって吼える。そこにいるのは17になったばっかりの少女ではなく、一人の、吸血鬼だった・・・。