光が降る。
ひどく歪んでしまった部屋は、しかし今は澄み渡る朝陽によって、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「何してるの」
声。
短く、しかし、全くというほど濁りのない澄んだ声。
声の主は、少女。黒のワンピースを身に着け、純白に彩られた髪と赤い瞳を持つ、アルビノの少女。
「ねぇ、聞いてるの」
だが、その声に不満と怒りの感情が混じり始める。
「・・・・・」
そして、少女は数歩後退すると、
「とりゃ」
助走をつけて思い切り、
「げほっ!?」
壁にもたれて眠っていた青年へと跳躍した。
「やっと起きたか、ばか者」
「ごほっ、げほっ」
「まったく・・・いつからあなたはそんなに偉くなったの」
「げほっ・・・い、いきなり何をするんだ」
「起きないあなたが悪い」
少女は悪びれる様子もなく、青年を睨みつける。青年は何かを言おうと口を開くが、しかしその口から抗議の声は出ず、代わりに溜息が一つ。
「はぁ・・・変わんないな、君は」
「わたしはわたし、変わるわけない」
「はは・・・」
――その物言い、本当に変わってない。
青年はゆっくり立ち上がると、少女の視線を真正面から受け止める。
――すこしの違和感と新鮮さを感じた。
「・・・何」
「・・・いや」
青年は幾つもの言葉を飲み込んで、
「なんでもないよ」
ただ、それだけを言った。


第一章『赤は、尽くし捧げることを』


「とにかく」
少女は湯気が立ち上るカップを両手で持ちながら、
「今何が起こってるのか調べないと」
ふーふーとそれに何度か息を吹きかけ、口につけた。
「・・うん、飲める」
青年は温まった牛乳をこくこくと飲み干す少女に見惚れながら(しかし表には出さず)、テーブルに置いた紙にチェックをつける。
「牛乳も大丈夫、っと」
「電気ガス水道おーけー、電化製品おーけー、食べ物おーけー」
「・・・電子レンジってこんな形になっても使えるんだなぁ」
青年は、壁に埋め込まれた球体の形をした電子レンジを見ながら、感嘆の息を吐く。
「結論として、形はめちゃくちゃになってるけど機能や性質は変化していない、ということね」
「みたいだ」
「どうしてこんなことになったのかは・・・考えるだけ無駄か」
「なんだか頭痛がしてきた・・・」
とりあえず二人は現状を把握するべく、この歪んでしまった青年の部屋を調べていた。
「さて」
突然立ち上がる少女。その瞳には爛々とした光が宿っている。
「次は外の調査ね」
「外・・・ね」
青年は、本来はベランダに面していたはずの窓を見やる。元は2m程の高さしかなかった窓は今やその倍以上の高さとなっており、その大きな開口部から澄み渡る朝光を採りこんでいる。
またベランダも元は外側にあったものが内側へと入り込んでおり、まるで窓に設置されたロフトのようになっていた。
――この部屋でこの調子だ。正直あまり外には出たくない。
青年は、嬉々として洋服タンス(螺旋階段のように捩れている)を漁る少女に目をやると、気付かないように溜息をついた。
――まぁ、どうせ無理だろうけど。
「あなた、失礼なこと考えたでしょ」
突然の声は振り向いた少女から。ビクッとした青年は観念したように両手をゆっくりと持ち上げる。
「どうして分かるかなぁ・・・」
「あなたのことなら何でも分かるわ」
少女はその身体には大きすぎる黒のパーカーを羽織りながら、
「だって」
透けるような微笑をひとつ。
「あなたはわたしのものだもの」

――俺は『彼女』に、どうしていつも黒い服を着るのかと尋ねたことがあった。そうしたら『彼女』は微笑んで、こう答えたんだ。
――「だってこの色が一番わたしを魅せるでしょう?」
「ねぇ、何をボーっとしてるの」
いつの間にか立ち止まっていたらしい青年を、仰ぎ見るように少女。
「あ、ああ、ごめん」
二人は変わり果てた街を歩いていた。
どこもかしこも変わっていないところは無く、しかし、やはり壊れてはいなかった。
雲の巣のように頭上に張り巡らされている電柱も、
元は直線だったが、今や曲がりくねるなど当たり前、上に下に右に左に無尽に伸びている道路も、
いくつもの一軒家やアパートやらが複雑に組み合わさり(青年のアパートももちろん取り込まれていた)、さも一つの巨大建築物のようになっている住宅地も、
しかし、ただの一つも壊れてはいないのであった。
「ふぅ、昔の面影は欠片もないわね」
少女がぼやく。しかし、その表情に戸惑いはあっても、悲しみは浮かんでいなかった。
――きっと、それは俺も同じなんだろう。
「それにしても、全然人がいないな」
青年は去来した複雑な感情を振り払うように辺りを見回すものの、人どころか虫一匹見つけることは出来なかった。
「そうね・・・」
言うや否や少女はすぐ傍にあった障子(ちょうど和室が道路側に飛び出る形となっていた)を開けると、中に入っていってしまう。
「え、」
一瞬、固まる。
「ちょ、ちょっと待てって!」
少女が律儀にも閉じて行った障子を乱暴に開けると、青年も和室の中の暗闇へと飛び込んで行った。